12月29日からピピがやってきて、5日に戻った、8日間の冬休み。
この間、フルートを吹いたのは一日だけ。
こんなことは、フルートを始めてから初めて。
ピピの滞在は期間限定なのだから、海外旅行にでも行ったつもりで、じっくりピピと遊んでしまおう!!と決めたから。
実際、本当に楽しく、猫にこれほど癒されるとは・・
「吹かない」と決めると、普段よりも家事にも気合が入り、年末年始の御馳走は例年以上にがんばった・・・
とはいっても、出来合いのものを並べたり、アレンジしたり、ではあるけれど、テーブルセッティングをがんばった。
・・それにしても、お節料理も、少しは並べているのに、真っ先に全員の箸がのびるのは、ローストビーフって・・・
いつもは、買い物に出たり、外食に2,3回出たりするのだけれど、もうずっと引きこもりで、ピピと家族3人で過した休日。
外食は、4日の夕刻に近所の和食のお店に一度行っただけ。
この時もそそくさと帰宅。
とにかくピピ中心のお正月でした。
なので、5日に帰ってしまった後の「ピピロス」が重傷。
掃除するためにピピの居た息子の部屋に入るだけで、様々な表情、体勢のピピの様子が、とてもリアルに浮かんで、それも同時に100匹くらいが、部屋中にあふれて蠢いている・・
というちょっとシュールな光景。
ベッドの端に座り込み、涙ぐんでいる私を心配してか、夫がドアを開け・・
「にゃ~~ん」 とピピの真似。
・・・違うっ!!
・・・・・・・・
と、このようなダレダレの冬休みでしたが、そんな中、久々に明け方の夢のお告げ?がありました。
おそらく、やはりフルートを吹いていないことが、深層意識の中では気になっていたのだと思います。
それは、やはり重心移動。
年末最後の大きな気付きは「首は最後」というものでしたが、そのための、最初のスイッチ、左足の移動のための重心移動。
これもまた、「陰陽」と呼べるかもしれません。
釣り合いとは陰陽だ。
左足を動かすために、重心を一旦右側に移動させる。
しかる後、徐々に、自分から見下ろして、反時計回りに重心移動をしていくことで、提灯畳み的な体幹部の移動が出来る、というもの。
夢は、「まず、右でしょ。」と誰かにささやかれたような感じ。
・・・・・・・
ヒストリーチャンネルでは、何度も同じ番組を繰り返しているのですが、つい見てしまうのが「古代宇宙人説」。
もうなんでもかんでも、宇宙人のせいにしてしまうのが、いっそ清々しく、面白い。
出演者も、微妙に怪しげで、良いバランスである。
吹き替えの声が、輪をかけて怪しい感じなのは、日本の制作会社の戦略か?
この中で、古代遺跡や神殿は、110ヘルツの周波数が生まれるように造られている、というのがあって、「音」によって、宇宙人と交信したり、巨石を持ち上げたりしていた、というものがありました。
実際に音によって、小さな玉を浮かび上がらせる機械も紹介されていました。
確かに、音というのは物理的な振動だから、それが上手く増幅したら大きなエネルギーを発することも、あるかも??
昔、電通大の坂口教授の研究協力で、新横浜にある、音の振動の影響を計測することの出来る施設にうかがったことがあるのですが、その時、実際に、数値化される「音」を見て、部屋にある物質、机も、椅子も、何もかもがフルートから出る音に共振しているのだな、と知り、嬉しかった。
・・巨石を浮かべられるかどうかは、まあ置いておくとして・・
古代の神殿、とくれば、それはもう「祈り」であり、声明、ホーミー、へと繋がる。
TVを観ながら久々に、ホーミーをやってみて驚いた。
昔やっていたころ、そう、このmixi日記の最初はホーミーのことなのだけれど、当時はわからなかった、感覚がある。
おそらく、ここ数カ月の、特に昨年12月に甲野先生にお教えいただいた、胸鎖関節の使い方に伴う変化だとは思うが・・
全然、別物になるのである。
それは、心臓近くの胸の骨。いや、もしかしたら心臓なのかもしれない。
だって「心に響く」って言うじゃない?
・・・・・・
新年早々の、この二つの気付きを本日、たっぷり試してみたのですが、身体への振動はより増え、ブレスものび、何より、音自体が持つエネルギーがより充実した感じとなりました。
・・・
「夜間飛行」から配信されている甲野先生のメルマガに、12月5日の音楽家講座のことが詳しく掲載されていました。
先生に拙フルートの進展を認めていただいていること、そして、先生の大きな進展にあの日の講座が関われたことが、とても嬉しかった。
師から「音の出し方はわかってきたみたいね。後はどう心をこめられるか・」
という、進級課題を与えられたけれど、そもそも、その込めるための「心」がチープではしょうがない、というのが、ここのところの自身の悩みでもあり課題でした。
そんな中、やはり同じメルマガに、吉本ばなな先生と甲野先生の往復書簡があるのですが、今回の甲野先生の御手紙に大きな衝撃を受けました。
そのタイトルは 『「自然な」が「不自然な」時代』
実際にメルマガを読んでいただくのが一番なので、3文だけ抜粋を。
(抜粋引用開始)
(前略)
そして、それによって現代という時代のどうにもならなさを痛感しているわけですが、現在「自然」
という事にこだわる人達が、どうしても陥ってしまう根本的矛盾は、昔は「自然な」ということは、つ
まり「あまり人が手を加えていない素朴な」という事であり、経済的にも安価だったわけですが、
現代はそうした「素朴な物」の方が逆に高価になってしまっている事だと思います。
(中略)
数十年前までは安価なものは「素朴で手のかからないもの」でしたが、現代はそうではなくなって
いるのです。それだけに「自然」を強調し、それによって商売をしている人も少なくないわけで、
「自然」の強調は、それ自体が不自然になっており、ばなな先生が「自然派」や「自然的」に懐疑
的になっていらっしゃることは十分に理解も出来ます。
(抜粋引用終わり)
その後、内容はテクノロジーの加速的な発展に伴う様々な弊害・・若い世代の国語力の低下、地球温暖化、海洋に漂うプラスチックごみ問題、放射性廃棄物処理問題、と展開します。
次号のばなな先生の返信書簡が今から待ち遠しい。
近未来小説や映画などで描かれている、
「格差がより広がり、一部は清潔で文明を享受する快適なシェルターの中で生き、それ以外はスラムでの生息を余儀なくされる」
という事態は、地球規模で既に始まっているけれど、でも、そのシェルターが本当に天国かというと、それはそれでまさに『「自然な 」が、「不自然な」時代』の似非天国な訳で。
このような時代だからこそ、より深い心と魂を持って、それを音楽に託せるような笛吹きになりたい、と感じた次第です。