『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
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フルート奏者・白川真理

テトラツィーニの教え

2021-10-17 23:36:21 | 気付き
初めてテトラツィーニのことを知ったのは、フルートの師・植村泰一先生のレッスンの時だった。

下から上まで、上質の響きが保たれ、高音域になっても痩せない声に驚いたものでした。

その後、偶然に神田の音楽専門の古本屋さんで、

『カルーソとテトラツィーニの歌唱法』(川口豊:訳 シンフォニア)

という本を見つけ購入。

むさぼる様に読んだものでした。

とはいっても、身体の中のことなので、わからないことの方が多い。

それでも、時折、手にとっていたのですが、先日の「鯉口を切る」ことによる変化に伴って、ようやくこのテトラツィーニが語っている教えの一つがストンと腑に落ちた。

何故そうなったのかは、よくわからないのですが、その一言は

「ゆっくりと息を出し、胸の方に空気を押し上げるように感ずる」

というもの。

「鯉口を切る」以前の身体では、この感覚は掴めなかった。

これにともなって、人生最大といっても良い変化が。

「鯉口を切る」の左手になってから、それがスイッチとなって、日々ガラガラと組み換えが進んでいるのですが、本当に不思議です。

左手の人差し指のちょっとした変化で、ここまで変わるなんて。

左手のフルートに当たる箇所も変化し、生まれて初めてフルートを持ったような感じがありますが、もっと面白いのは、急に視界からフルートが消えてしまった様な感覚があること。

もちろん、今まで吹いている時も、フルートが目に見えている訳ではないのですが、よりその存在感はあった。

それがフっとフルートが消えてしまったような不思議な感じで、とても心もとない。
この心もとなささが、現実からの乖離のような、一種独特の瞑想のような集中を引き出す。

吹いている最中は、聴こえ方も変わってしまって、これが鳴っているのかどうかもよくわからないのですが、吹き終わった後の残響の残り方はかつてない程あるので、多分、これで良いのだろう、と。

この本の中でカルーソが語っている。

「実際には声楽家の数だけメソードがあると言っても良い。そして、どんなに特別なメソードも、それが正確に説明されていても、それを試みる人によって役に立たないことがある。(中略)私自身の独特な歌唱法は。たとえそれがどんなものであっても、前述のとおり結局は私だけに合うものなのである。」

この大前提のもとで、様々な教えが開示されている訳であるのだけれど、また身体の使い方の変化に伴って、この本への理解もより深まるのではないかと楽しみです。