『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

3月26日(土)白川真理フルートコンサート~ゲスト・宇高靖人(ギター)~ 

2022-03-27 23:44:42 | 音楽・フルート
白川真理 フルートコンサート

ゲスト:宇高靖人(ギター)

2022年3月26日(土)19時開演(18時30分開場)
鶴見区民文化センターサルビアホール3階音楽ホール
http://www.salvia-hall.jp/about/#access
全席自由・完全予約制 3000円

(フルートソロ)

・ファンタジー第1番 イ長調
  (『無伴奏フルートの為の12のファンタジー』より)    G.P.テレマン

・パッサカリア(『ロザリオのソナタ』より)          H.ビーバー

・無伴奏フルートソナタ イ短調                C.P.E.バッハ

・組曲第4番変ホ長調BWV1010(『無伴奏チェロ組曲』より) J.S.バッハ

・・・・・・・休憩15分・・・・・・

・カプリチオ第1番ハ短調
(『無伴奏チェロの為の11のカプリチオ』より)       J.ダッラーバコ

・カプリチオ第3番変ホ長調


(フルート&ギター)

・ウクライナの風(初演)               白川真理

・浮雲                       ギターソロ作曲:宇高靖人

・水月
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回は基本無伴奏ばかりだし、ギターは名手の宇高さん、そして馴染みのある会場、ということで、フルートソロのリハの時間は特に取らず、デュオの3曲とアンコールのシチリアーノだけ、合わせて、立ち位置決めをして控室に。

午前中に一通り練習した後は、リハがないので、その分、昼食後も家でゆっくりして、ヘッドマッサージとハンドマッサージ機を同時に付けて、寛ぐことができました。
共演の人数が多い場合は、こういう事も出来ないだろうけれど、今回は、これで。

出番までの30分、何をしたかというと、ひたすら舞台袖からステージ中央まで楽器とドレスの裾を持って歩く練習。さらにお辞儀をして、テレマンの冒頭を。

やはり、これだけだと、質的変換はなく、ここで「連続的影観法」の練習、つまり頭からの命令に逆らって出鱈目を吹く、というのをやると、やはりガラっと質的変化が起こる、というのをやっていました。

宇高さんもびっくりされていた。

それをギリギリまで繰り返し、本番。

2年3か月ぶりの本番。会場にはこの嵐のようなお天気の中、いらしてくださった40名程のお客様。

おまけに、最初のテレマンのフレーズは、今日のプログラムの中では一番テクニカルで難しい、ときている。まあ、敢えてそうしたのは自分とはいえ、一種賭けでもあった。

舞台袖で開演5分前のベルが鳴った時は、胸の奥の方でドキドキとするのが感じられたのだけれど、不思議なことに、それは以前の様に表面ではなく、かなり奥。

ドキドキしていない訳ではないのに、水面下でそれが起きている、という感じ。
なので、呼吸や身体への悪影響は全くなかった。
つまり当事者感がない。こんなことは生まれて初めてで驚きました。

そして、ステージへ。

下駄に載せた足と下腹部を繋げ、数日前に気付いたコモドドラゴンの前脚で、腕、手指も下腹部に、そして足指にと繋げ、それを壊さないように(これが大事だった!)左手で楽器を持ち、右手でドレスの裾をつまみあるきやすいように持ち上げる。

そして、ここで「間の呼吸」。

(これは陽紀先生からお教えいただいたもので、一言で済んでしまう教えなので、書けなくてすみません。気になる方は、どうぞ先生の個別指導へ!)

これが、緊張してはやる気持ちを鎮めるのに、とても役に立った。

感謝の気持ちでお辞儀しつつも、ここで繋がりを壊さぬよう細心の注意を払う。

そして演奏。

懸案のテレマン冒頭は、満点とはいかなかったけれど、それでも、大きな破綻もなく、良いスタートを切ることができました。

跡はこの流れに乗るだけ。

細かいいくつかのミスは数か所あったものの、ほぼ、思い通りに気持ちよくステージで過せた本番でした。

その上、途中で、客席で聴いている自分が居る様な気さえした。

そのように思い込みたかっただけかもしれませんが、こんなことは私にとっては初めて。

自分はアシスタントに徹して、別の主役を呼び込みやってもらう・・
アシスタントは細心の心配りで、その場を整えるだけ・・
と仰る甲野先生。

今回、自分ではない「何か」、「Something great」にやってもらうというところまでは行っていなかったとは思う。

でも「自分を飛ばす」そして、「我ならざる我を発動させる」

という感覚にはかなりにじり寄れたのではないか、と思う。

この会場ならではの響きを聴けるのが嬉しかった。

演奏しつつも「へえ、そうやるんだ??ロットってこんな風に聴こえるんだ?」という感じで、客席で聴いている自分も居て、その演奏に耳を傾けている、という感覚というのは、ただただ不思議なものだった。

何もかもが初めてのコンサート。
こんなに寛いでステージに立ったのは、生まれて初めてだ。
だって、当事者じゃないのだから。

後半の宇高さんとのアンサンブルも、お互い、本番だからこそ生まれるより細やかな表現、熱いセッション。

温かな客席の雰囲気に助けられ、しみじみとした良い時間を過ごすことができました。

今回のコロナ禍の自粛期間を経たことで、お題目ではなく、お客様との共同作業での演奏であることを改めて認識。

大きく変化したことは、ずっと聴いてくださっている方々にも顕著にわかったそうで、その反響が嬉しかった。

初めて聴いてくださった方からも、心に染みた、という声もあり、まあ、面と向かって批判する方もいないにしても、やはり、心の底から喜んでくださっているのがわかり、嬉しい。

とはいえ、録音を聞き返してみると、師・植村泰一先生の「魂に染みる音」には程遠い。
まだまだ浅い。
今は、まだ「我ならざる我」、つまり「我」の範疇だから、それほど大物の主役ではない、ということなのだろう。

「我ならざる我」から「我ならざるSomething great」に、というのが次の目標。

裏方は・・中止になったら、お願いした方に悪いから、と今回受付は夫、ステマネは息子。

時系列に業務内容を記した紙を渡して、何度かレクチャーはしたものの大丈夫か?と案じていたのですが、二人とも奮闘してくれて、大きな問題もなく勤めてくれました。
まあ、二人とも会社勤めの社会人(夫はリタイアしたばかりですが)。
私よりもずっと様々な事は心得ていて気も利くのね、ということを、これまた生まれて初めて知ったのでした。
・・しばらく、ごはんを少しだけ贅沢にして恩返しせねば・・

お越しくださった皆様、そして宇高さん、本当にありがとうございました!