肌寒い一日でしたが、良い一日となりました。
私が結婚出来たのは奇跡に近いのではないかと常々思っているのですが、そんな奇跡のご縁を紡いでくださった恩人のお一人が、夫の父方の従姉にあたるM子さん。
そのご自宅を訪問しました。夫の父の姉がM子さんのお母さんという親戚。
音大時代のピアノ伴奏を引き受けてくださったA子先輩のお母様と、このM子さんが奈良女子大の同窓生で、同窓会の中で、「そういえば、こんな方が・・」と私達を紹介してくださったのがきっかけでした。
お仲人も、M子さんご夫妻が引き受けてくださいました。
もう30年以上も前のことですが、都内のご自宅にご挨拶に伺った時のことをよく覚えています。
M子さんのお父さんも、ご主人も、そして御長男も数学者という学者一家ですが、本当にいつもニコニコと明るくユーモアあふれるご一家。
庭には大きな梅の木があり、書棚に囲まれた落ち着いた応接間。
お子さんが3人いて、長男の方はお留守だったのですが、次男の方は当時大学生で落語研究会だとのことで、一席披露してくださいました。
末っ子のK子ちゃんはピアノで素晴らしいショパンを聴かせてくださった。
K子ちゃんも研究者となられ、以前そのメダカの研究は宇宙での治験にも選ばれた。
M子さんは子供たちに、一度も「勉強しなさい」と言ったことがないそう。みな興味の赴くままにのびのび育って、3人ともスルっと東大という、もう羨望すら通り越してしまう一家です。
今回は夫の姉と待ち合わせて、3人での訪問。
最後は法政大の教授を務められたご主人のYさんが、コロナ禍の昨年、逝去されたのだけれど、お参りに行けなかったので、今回、ようやく。もう亡くなってしまいましたが夫の義兄、つまり姉のご主人HさんはこのYさんの弟子で、やはりM子さんの紹介だった。
姉弟共に、お世話になっている。
M子さんは夫の姉とは年齢が近く女同士ということもあり、仲良しでよく会っているそうですが、夫と私は本当に数年ぶりの再会となりました。
「もう平均寿命の87歳になっちゃったのよ~」と仰るけれど、その声はしっかりとはきはきとして若々しい。
楽しそうにコロコロと良く笑われるので、こちらもつられて笑顔になる。
楽しくお話してあっという間に3時間が経ちました。
特に印象深かったのは戦時中のお話。
「もう、実際にあの戦争を体験して覚えているのは、私の世代だけになってしまったはね。」
と話してくださった。
M子さんは子供の頃、奉天に居て、ロシア軍が侵攻してきた時、高級将校が「部屋を貸してくれ」と言ってきたそう。
周囲では、ロシア兵による略奪、暴力等の非人道的な悲惨な出来事が沢山起きていて怖かったけれど、幸いなことに、この将校は礼儀正しい紳士で、一家に対しても、親切で礼を尽くして接してくれたそう。
M子さんは肩車をしてもらったことも覚えていたそう。
さらにその将校はロシア語で一筆書いて、「もし質の悪いロシア兵がやってきて悪さをしようとしたときは、この書付を見せなさい。そうすれば大丈夫だから。」
と、サインをして渡してくれたのだそうです。
あの混乱の最中、こんな話もあったということが救いです。
幸い、一家はその書付を使うことなく、それでも苦労して日本に引き上げることが出来、
高知の夫の父を頼って、しばらく共に暮らしていたのだそうです。
その後M子さんのお父さんは徳島大学の教授となって徳島に転居しましたが、その時から70年、今に至るまでずっと
「お父さんには本当に世話になったわよねえ」と夫や姉にいつも言い続けてくださっている。
「次男が、学生の頃からロシア語を学びだしたのは、こんな話を聞かせてきたからかもしれないわねえ。」とM子さん。
きっとそのロシア将校への感謝、ロシアという国と文化に興味関心があり、ロシアのことが好きだからこそ、熱心にロシア語も学ばれたのではないかと思う。
それだけに、今回のプーチンのウクライナ侵略には人一倍胸を痛めていられるに違いない。
先日も仕事でキーウ入りしたというけれど、やはりというかなんというか母親のM子さんは全く知らされていなかったそう。
まあ、そうだろう。
本業の原稿書きだけでもお忙しいと思うのに、TVの報道番組、ワイドショーで見かけない日はない、というくらい出演されている。
夫のお父さんとも少し似た面影のある駒木明義氏を画面で見るたびに、一席演じてくださった陽気な笑顔の大学生と、33年前の、あの穏やかな一日を思い出して、不思議な気持になる。
番組の中で、短絡的居酒屋談義レベルのコメントをした杉村太蔵氏に思わず怒ってしまったのも、当然だ。
https://www.daily.co.jp/gossip/2022/05/04/0015273404.shtml
M子さんに見せていただいたマトリョーシカはロシアのお歴々。
プーチンが台頭する前の時代のお土産なんだろう。
一番大きいのはエリツィン、ゴルバチョフ、ブレジネフ、チェルネンコ、不明??
アンドロポフ、フルシチョフ?、カーメネフ?、スターリン、一番小さいのがレーニン?
帰りの電車の中、夫と一緒に検索しながら名前を当てはめてみましたが、よくわからない。明義さんなら、サラサラサラっと名前が出てくるんだろうけれど。
私が結婚出来たのは奇跡に近いのではないかと常々思っているのですが、そんな奇跡のご縁を紡いでくださった恩人のお一人が、夫の父方の従姉にあたるM子さん。
そのご自宅を訪問しました。夫の父の姉がM子さんのお母さんという親戚。
音大時代のピアノ伴奏を引き受けてくださったA子先輩のお母様と、このM子さんが奈良女子大の同窓生で、同窓会の中で、「そういえば、こんな方が・・」と私達を紹介してくださったのがきっかけでした。
お仲人も、M子さんご夫妻が引き受けてくださいました。
もう30年以上も前のことですが、都内のご自宅にご挨拶に伺った時のことをよく覚えています。
M子さんのお父さんも、ご主人も、そして御長男も数学者という学者一家ですが、本当にいつもニコニコと明るくユーモアあふれるご一家。
庭には大きな梅の木があり、書棚に囲まれた落ち着いた応接間。
お子さんが3人いて、長男の方はお留守だったのですが、次男の方は当時大学生で落語研究会だとのことで、一席披露してくださいました。
末っ子のK子ちゃんはピアノで素晴らしいショパンを聴かせてくださった。
K子ちゃんも研究者となられ、以前そのメダカの研究は宇宙での治験にも選ばれた。
M子さんは子供たちに、一度も「勉強しなさい」と言ったことがないそう。みな興味の赴くままにのびのび育って、3人ともスルっと東大という、もう羨望すら通り越してしまう一家です。
今回は夫の姉と待ち合わせて、3人での訪問。
最後は法政大の教授を務められたご主人のYさんが、コロナ禍の昨年、逝去されたのだけれど、お参りに行けなかったので、今回、ようやく。もう亡くなってしまいましたが夫の義兄、つまり姉のご主人HさんはこのYさんの弟子で、やはりM子さんの紹介だった。
姉弟共に、お世話になっている。
M子さんは夫の姉とは年齢が近く女同士ということもあり、仲良しでよく会っているそうですが、夫と私は本当に数年ぶりの再会となりました。
「もう平均寿命の87歳になっちゃったのよ~」と仰るけれど、その声はしっかりとはきはきとして若々しい。
楽しそうにコロコロと良く笑われるので、こちらもつられて笑顔になる。
楽しくお話してあっという間に3時間が経ちました。
特に印象深かったのは戦時中のお話。
「もう、実際にあの戦争を体験して覚えているのは、私の世代だけになってしまったはね。」
と話してくださった。
M子さんは子供の頃、奉天に居て、ロシア軍が侵攻してきた時、高級将校が「部屋を貸してくれ」と言ってきたそう。
周囲では、ロシア兵による略奪、暴力等の非人道的な悲惨な出来事が沢山起きていて怖かったけれど、幸いなことに、この将校は礼儀正しい紳士で、一家に対しても、親切で礼を尽くして接してくれたそう。
M子さんは肩車をしてもらったことも覚えていたそう。
さらにその将校はロシア語で一筆書いて、「もし質の悪いロシア兵がやってきて悪さをしようとしたときは、この書付を見せなさい。そうすれば大丈夫だから。」
と、サインをして渡してくれたのだそうです。
あの混乱の最中、こんな話もあったということが救いです。
幸い、一家はその書付を使うことなく、それでも苦労して日本に引き上げることが出来、
高知の夫の父を頼って、しばらく共に暮らしていたのだそうです。
その後M子さんのお父さんは徳島大学の教授となって徳島に転居しましたが、その時から70年、今に至るまでずっと
「お父さんには本当に世話になったわよねえ」と夫や姉にいつも言い続けてくださっている。
「次男が、学生の頃からロシア語を学びだしたのは、こんな話を聞かせてきたからかもしれないわねえ。」とM子さん。
きっとそのロシア将校への感謝、ロシアという国と文化に興味関心があり、ロシアのことが好きだからこそ、熱心にロシア語も学ばれたのではないかと思う。
それだけに、今回のプーチンのウクライナ侵略には人一倍胸を痛めていられるに違いない。
先日も仕事でキーウ入りしたというけれど、やはりというかなんというか母親のM子さんは全く知らされていなかったそう。
まあ、そうだろう。
本業の原稿書きだけでもお忙しいと思うのに、TVの報道番組、ワイドショーで見かけない日はない、というくらい出演されている。
夫のお父さんとも少し似た面影のある駒木明義氏を画面で見るたびに、一席演じてくださった陽気な笑顔の大学生と、33年前の、あの穏やかな一日を思い出して、不思議な気持になる。
番組の中で、短絡的居酒屋談義レベルのコメントをした杉村太蔵氏に思わず怒ってしまったのも、当然だ。
https://www.daily.co.jp/gossip/2022/05/04/0015273404.shtml
M子さんに見せていただいたマトリョーシカはロシアのお歴々。
プーチンが台頭する前の時代のお土産なんだろう。
一番大きいのはエリツィン、ゴルバチョフ、ブレジネフ、チェルネンコ、不明??
アンドロポフ、フルシチョフ?、カーメネフ?、スターリン、一番小さいのがレーニン?
帰りの電車の中、夫と一緒に検索しながら名前を当てはめてみましたが、よくわからない。明義さんなら、サラサラサラっと名前が出てくるんだろうけれど。
庭の、100年越えの梅の木は33年前と同じに、沢山の実を付けて立っていました。
本当に、ウクライナとロシア、他紛争の起きている地域も、早く平和が戻りますように。
そして「戦前」とも言われ出した日本と世界が良い方向に舵を切ることができますように。
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イリオモテヤマネコの縫いぐるみのサイズ感がピピそっくりで、思わず抱っこ。
猫とゆっくり過ごすことが出来るのも、フルートが吹けるのも平和だからこそ。
既に12時を過ぎ、16日となりました。
植村泰一先生が逝かれて早一年。
時間が経つほどに寂しさはより募りますが、頑張らねばね。
植村先生も、強く平和を願う音楽家のお一人でした。
戦地に行かれて帰ってこられなかった先輩方のために吹いているんだよ、と仰っていた。