三題噺のようですが、奏法に関しての話題です。
武術研究者・甲野善紀先生とのご縁が出来たのが2003年春で、それ以来私の奏法は激変につぐ激変で、もう17年も経ったというのに、全く落ち着くことなく現在に至っています。
なので、生徒さんや講座参加者の方に説明する時には、ついつい、2003年以降の話ばかりとなってしまうことに、先週気付きました。
実は先生に出会う以前に、その下地があり実践していたことがあり、それがとても重要な要素であり、現在の奏法に至るための前提条件であったことに、ようやく・・
2000年頃だったか、いずれにしても2003年以前の頃のことです。
野村萬斎が大好きになった。(・・実は今でも・・)
これほど誰かのファンになる、ということはこれ以外には一度もなく、実物見たさに、能楽堂に通う様に。
母は仙骨の癌が日々酷くなって既に寝たきりになっていましたが、痛みの少ない時もあり、そんな時には私に着物の着方や手入れの仕方などを教えてくれていたので、着物初心者にも関わらず、着物で能楽堂、という暴挙。
狂言のことはよく知らなかったけれど、その動きや声の響きに魅了され、ますます大ファンに。
そんな折、夏休みに子供向けの狂言ワークショップの御知らせ。
幸い、息子は小学校低学年で、まだまだ私の言いなりになる年頃。
すぐに申し込みました。
運よく、くじ引きに当たって、息子は直接ご指導を受けることができました。
「中々良いねえ」と背中をポンポンと叩かれたりして、「キャ~~!」と羨ましかったのを覚えている。
完全に息子はダシだった。
その時の演目が「茸(くさびら)」
雨が降り続いて、庭に茸が沢山生えて困った男が山伏に茸退治の祈祷を頼む。
山伏は「ボロロン、ボロロン~」と如何にも怪しげな祈祷をするも、茸はむしろ、どんどんと数を増やし、遂には庭中を駆け回る・・
というお話。
この茸の所作を子供たちに教えていたのでした。
もちろん、他の所作も色々とやったのだけれど、一番よく覚えているのが、この茸。
子供たちは喜々としてやっていましたが、とても大変そう。
でも、すぐにピンときて、帰宅後、すぐに私もやってみました。
そして、その恰好でフルートを吹くと・・・
着物、狂言の「茸」が私のフルート奏法が最も変化した原点だった。
だからこそ、初めて甲野先生を着物の雑誌で見た時に、ドキっとしたのではないか、と思う。
そして2003年2月、初めて甲野先生の講習会に。
その日はメモ帳が真っ黒になった。
帰りの電車の中でも、ずっと反芻して、興奮状態だったのをよく覚えている。
摩訶不思議なミラクルワールドの始まりである。
ということで、その後の甲野先生の印象があまりに強烈で、すっかりそれ以前が吹っ飛んでいたのですが、実は、それが重要だったか、と最近のレッスンの中で自覚。
それは、いわば足腰がちゃんと活かされているか否かということ。
武術でも抜刀術のフキョというのがあるけれど、それはさらにハードルが高い。
もちろん、効果もさらに増すのですが。
銀座山野楽器での講習会の時にはパフォーマンスで、フキョでシランクスを吹くというのをやったりもしたけれど、万人向けではない。
でも、この茸なら、比較的、誰でも取り組めるしわかりやすい。
数年前の音楽家講座で甲野先生が仰ったのは「小人」
脚に小人が棲んでいる人も居れば、小人も棲めない酷い環境の脚もある、とのこと。
打ち上げの時にうかがってみた。
「先生、私の脚に、小人は棲んでいますか?」
先生はしばし私の脚を眺めて沈黙された後、おもむろに仰った。
「・・・白川さんは・・とても小さい小人が沢山いますね。油虫みたいにびっちりと・・」
・・・ちょっと気持ち悪いが、誉め言葉だと思っている。
要は、茸をやってみると、小人が脚に住み着くよ、ということです。
茸やフキョの効用は、これだけでなく、肩が落ちる、ということにもようやく最近気付きました。
つまり横隔膜も下がる。
鍛える、というのではなく、無理のない面白がれる範囲で茸をやって、その後夫々の楽器を演奏してみるだけでも、別世界が広がるだろうと思う。
先日、ピアニストに試していただいたのですが、びっくりする程の変化があり驚きました。
膝裏がのびた、いわば小人も棲めない環境の脚で腰かけるのか、小人が蠢く脚で腰かけるのかで大違い。
フルートを腰かけて演奏する場合も同様。
武術研究者・甲野善紀先生とのご縁が出来たのが2003年春で、それ以来私の奏法は激変につぐ激変で、もう17年も経ったというのに、全く落ち着くことなく現在に至っています。
なので、生徒さんや講座参加者の方に説明する時には、ついつい、2003年以降の話ばかりとなってしまうことに、先週気付きました。
実は先生に出会う以前に、その下地があり実践していたことがあり、それがとても重要な要素であり、現在の奏法に至るための前提条件であったことに、ようやく・・
2000年頃だったか、いずれにしても2003年以前の頃のことです。
野村萬斎が大好きになった。(・・実は今でも・・)
これほど誰かのファンになる、ということはこれ以外には一度もなく、実物見たさに、能楽堂に通う様に。
母は仙骨の癌が日々酷くなって既に寝たきりになっていましたが、痛みの少ない時もあり、そんな時には私に着物の着方や手入れの仕方などを教えてくれていたので、着物初心者にも関わらず、着物で能楽堂、という暴挙。
狂言のことはよく知らなかったけれど、その動きや声の響きに魅了され、ますます大ファンに。
そんな折、夏休みに子供向けの狂言ワークショップの御知らせ。
幸い、息子は小学校低学年で、まだまだ私の言いなりになる年頃。
すぐに申し込みました。
運よく、くじ引きに当たって、息子は直接ご指導を受けることができました。
「中々良いねえ」と背中をポンポンと叩かれたりして、「キャ~~!」と羨ましかったのを覚えている。
完全に息子はダシだった。
その時の演目が「茸(くさびら)」
雨が降り続いて、庭に茸が沢山生えて困った男が山伏に茸退治の祈祷を頼む。
山伏は「ボロロン、ボロロン~」と如何にも怪しげな祈祷をするも、茸はむしろ、どんどんと数を増やし、遂には庭中を駆け回る・・
というお話。
この茸の所作を子供たちに教えていたのでした。
もちろん、他の所作も色々とやったのだけれど、一番よく覚えているのが、この茸。
子供たちは喜々としてやっていましたが、とても大変そう。
でも、すぐにピンときて、帰宅後、すぐに私もやってみました。
そして、その恰好でフルートを吹くと・・・
着物、狂言の「茸」が私のフルート奏法が最も変化した原点だった。
だからこそ、初めて甲野先生を着物の雑誌で見た時に、ドキっとしたのではないか、と思う。
そして2003年2月、初めて甲野先生の講習会に。
その日はメモ帳が真っ黒になった。
帰りの電車の中でも、ずっと反芻して、興奮状態だったのをよく覚えている。
摩訶不思議なミラクルワールドの始まりである。
ということで、その後の甲野先生の印象があまりに強烈で、すっかりそれ以前が吹っ飛んでいたのですが、実は、それが重要だったか、と最近のレッスンの中で自覚。
それは、いわば足腰がちゃんと活かされているか否かということ。
武術でも抜刀術のフキョというのがあるけれど、それはさらにハードルが高い。
もちろん、効果もさらに増すのですが。
銀座山野楽器での講習会の時にはパフォーマンスで、フキョでシランクスを吹くというのをやったりもしたけれど、万人向けではない。
でも、この茸なら、比較的、誰でも取り組めるしわかりやすい。
数年前の音楽家講座で甲野先生が仰ったのは「小人」
脚に小人が棲んでいる人も居れば、小人も棲めない酷い環境の脚もある、とのこと。
打ち上げの時にうかがってみた。
「先生、私の脚に、小人は棲んでいますか?」
先生はしばし私の脚を眺めて沈黙された後、おもむろに仰った。
「・・・白川さんは・・とても小さい小人が沢山いますね。油虫みたいにびっちりと・・」
・・・ちょっと気持ち悪いが、誉め言葉だと思っている。
要は、茸をやってみると、小人が脚に住み着くよ、ということです。
茸やフキョの効用は、これだけでなく、肩が落ちる、ということにもようやく最近気付きました。
つまり横隔膜も下がる。
鍛える、というのではなく、無理のない面白がれる範囲で茸をやって、その後夫々の楽器を演奏してみるだけでも、別世界が広がるだろうと思う。
先日、ピアニストに試していただいたのですが、びっくりする程の変化があり驚きました。
膝裏がのびた、いわば小人も棲めない環境の脚で腰かけるのか、小人が蠢く脚で腰かけるのかで大違い。
フルートを腰かけて演奏する場合も同様。