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『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

第115回 音楽家講座in鶴見~甲野善紀先生を迎えて~ 3月10日(木)

2022-03-11 23:38:39 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
ここのところ、講座開催日はお天気の日が多くなっています。
以前は雨ばかりだったのに。流れが大きく変わってきているのかもしれません。

そんなことを受付セッティングしてボーっと考えていたら、いつもより早くに甲野先生が到着。その姿を見たとたん、今までと全くご様子が違うことに驚きました。

私ごときが・・で恐縮ですが、実はこの感想は私だけでなく、講座の常連さんが皆口々に仰っていました。

その上、声まで変化されていたように思います。
元々、深みのある、お声なのですが、その出所の場所が、より深く、より背中側に移ってきたような・・ぼそぼそとつぶやいているだけなのに、響いて、通る。

『剣鉈の気付き』は本当に先生に大きな変化をもたらしたようです。

先生からも「まあ今回の気付きは私の中でも大きなものだった事は確かです。」と後日メールが。

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(お話と実践)

新な技の原理となった『剣鉈の気付き』の解説。
実際に剣鉈を持参され紙を斬るところを見せてくださる。
剣鉈は鋭い刃と重みがあるので、そのまま当てて、剣鉈に任せてやれば、そのまま傾き落ちるから何もせずとも、紙は斬れる。

でも、この紙の当て方が変だと、それてしまって斬ることができない。

つまりは、右手に持った剣鉈よりも、左手に持った紙の方が大事。

段取り、準備が大事。

私がやるのはアシスタントだけ。主役は(自分には)関係ない。

肝心なことは何かに任せる。

自分は常により良いアシスタントに徹していれば、凄い主役がやってくれる。

これは影観法にも通じている。

段取り9割、いや、全部、100%。何故ならやるのは自分ではないもの。
自分はやらないのだから。

目標はより良いアシスタント。

青い鳥(メーテル・リンク)や、白隠禅師の話にも通じる。

自分の技を上げるのではなく、あくまでもより良いアシスタントになる。

自分が上手くなりたい、というのは間違いで、アシスタントに徹すればよい。

相手が払ってきたら、そのまま払われればよい。いわばこれがエサ。
主役がより有効に働く舞台を作る。自分は黒子に徹する。
相手がこのエサに喰いついたその瞬間に主役がミサイルを打つ。

見物席で観ているような心地。

自分の技が上達する、という概念が全く違ってくる。

2000年だったか、漫画家・井上雄彦氏(スラムダンク、バガボンド等)と対談した折、「空前の怖さ」の話になった。(『武術への招待』宝島社)

一番怖かったのは、40代の頃、一人稽古をしていて突然「この先、のびることがない」とフト思ったら、身体の中から、この程度で終わるなら死んだ方がマシだ!と、死んでしまいたくなったこと。

自分が『鬼』を飼っている、ということに気付かされ、これが後にも先にも、最も怖かった。

しかし(今回の気付きで)、アシスタントの技術を磨き、レベルの高い主役にやってもらうようにすれば、もう自分はやらなくて良いのだ。

場の力も関与する。その場その場で引き出される。

以前は、どうしたら上達するか?だったのが主役は剣鉈で、自分は斬ろうとせず、アシストに徹すればよい。

よりレベルの高い主役を迎えられるように、準備をしておく。

この気付きはあらゆることに活かせる。

この講座で、座って話をするのは初めて。
(本当に、2003年以来、19年の中で初めてでした!)

ある種の気張りが抜けた。73歳でやっと気付くとは・・

これからどう展開するか・・

人は謙虚であれ、にも繋がる。

自分が主役にならないことで、現実は技のレベルが上がる。

迎え入れる準備だけすればよい。

(その後、様々な実践を交えつつ)

実況中継があだとなる。

相手を自分の世界に巻き込むカリスマセールスマンの話。

茶道は段取りだらけ。

段取りさえやれば、後はひとりでに進む。

気の利かせ方を細やかにするだけ。

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(個別指導)
ギター
誰にも習ったことがなく、独学。

演奏中の身体のツマリが気になってくるとのこと。

ピックの持ち方を通常のものから変えてみると、肩が落ち、より身体が繋がり響きが増す。

初めてのことで、若干不自由そうだったので、指にチラシを付けて同様に弾いてから、そのチラシを外すと‥・

(このチラシを付けて外すものは、今回初めて見た試みでした。)

「まるで、ずっと前から、やっていたみたいです!」
さらに響きが増した。






ホルン
左右対称の楽器ではないので、身体の捻じれや首のツマリ、
また、左手親指の可動性と安定感も気になる、とのこと。

左手だけに指紐。
瞬時に変わる響き。広がりが増える。
次に右手にも。
とたんに、シュっと中心にまとまり、深みが生まれる。

(「僕、思わず姿勢を正してしまいました。斜めになって聴いていれなくて」
とは、常連のボイストレーナーNさん。確かにそんな感じ。)

蜘蛛の巣状に紐を巻くことで、力が局部に偏在するのを防いで、全体に散るようにする効果が。

この紐も、いわゆる、ひとつのアシスタント。











ウクレレ
高い音の響きが弦が短くなる楽器の特性から、響きにくい。そこをより綺麗に弾けるようにしたい、と、ドビュッシーの月の光を演奏。

鎖紐の四方襷で、とたんに美しい高音に。





フルート・・私。
今回、個別指導希望者が少なく余裕があったので、私も受講生になり質問。

舞台袖から舞台中央に歩き、お辞儀、お話、演奏、という流れをうまくやりたい。

これが決まれば、あとはスルスルと流れに乗れるので。

と26日のコンサートの冒頭を実践し、テレマンのファンタジー1番を。

・・なんでこんなに難しい曲を一曲目にしたんだろう・・・

やはり練習の時よりも固くなっていて、細かい音の的は外れっぱなしだ。

甲野先生からのご助言は、

「やはり、連続的影観法ですね。」

それは脳からの命令にそむき続けて、出鱈目に吹くというもの。

前回の講座で提案されていたので、稽古してみたけれど、ストレスフルな割には効果はなく、私にはできないなあ、と思っていたものなのだけれどなあ、と思いつつやってみたところ・・

何故かいわゆる出鱈目の演奏も妙な現代曲を吹いているような感じで、どんどん出て来る。何故だ?と、これだけでも、驚いたのだけれど、その後普通に演奏したら・・

テクニカルな指の動きを気にすることもなく、何より、楽器が押し込んでいる訳ではないのに身体にピタっと安定したことに驚いた。

結果、なんというか、とても楽しく吹けた。
テレマンて、こんなに楽しい曲だったのか?と自分が吹いているのではなく鑑賞している感じ。

何故?何故?とひたすら沢山の??が飛ぶ。

・・・・・・・・・・・

感想等

今回の先生は「清明」を体現されている数少ないお一人ではなかったかと思う。
受講された皆様も、どなたも瞬時に大きな変化があり、とても感覚が優れていらしたように思えたけれど、それも今の先生の影響を受けたからかもしれない。

それは私も同様で。
先月御教えいただいてから、何度か自己流で「連続的影観法」を試してはみたけれど、混乱するばかりで、あまりうまくいかなかった。
それが昨日は、全く別人のようで・・まさに我ならざる我が生まれて初めて発動。

あんなに自由で楽しい気持ちでステージに立てたのは初めてだ。

そしてバッハのことを思い出した。

Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略語であるSDGsを始めて聞いた時に、すぐに、「あら、バッハ?」と思った。

バッハは、その重要な宗教的作品、例えばマタイ受難曲など、の最後にSDG(最後のSはない)と記している。

Soli Deo Gloria

ラテン語でソリ デオ グローリア

「栄光は神のみに」

この仕事は自分が成したのではなく、全ては神の思し召し、御業である。
故にSDG。

なんと謙虚で信心深い、としか思っていなかったけれど、今回の甲野先生の気付きはまさに、このSDGではないか?と。

バッハが謙虚で信心深いのは事実だろう。
あんなに天才なのに、凄い、と思っていたけれど、それだけではなくて、謙虚で信心深く、その結果、一種、脇役、アシスタントに徹していたからこそ、我ならざる我が発動し、よりレベルの高い主役が現れて、あのような偉大で膨大な作品群が生み出されたのだな、と思う。

そして

脇役に徹すればよい、という「剣鉈の気付き」は、「鬼を飼っている」という先生だからこその気付きかもしれない、とも思った。

バッハも当然飼っていたのだろうな。 「鬼」を。







(告知)第115回 音楽家講座in鶴見~甲野善紀先生を迎えて~

2022-03-08 20:44:05 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
いよいよ10日は音楽家講座。
新たな先生の「剣鉈の原理」初公開となり、楽しみです。
音楽家以外でも、事前のお申し込みなしで、当日ふらりといらしても大丈夫です。
どうぞお越しくださいませ!

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第115回 音楽家講座 in 鶴見
フルート奏者の白川真理女史が「音楽家のための身体操法講座をお願いしたい」
と武術研究者・甲野善紀氏に依頼したのは2003年のこと。
以来足掛け17年、100回以上に渡って開催されてきた「甲野善紀音楽家講座」

音楽家の方も音楽家でない方も目から鱗の
「常識を覆す」身体運用法を体験してみてください。
楽器などご持参の上、動きやすい格好でお越しください。

(会場内・飲食禁止、グランドピアノ有)
前半は最新の甲野先生の技、術理のお話と実演、
後半は希望者による公開レッスン形式の個別指導となります。

■ 日 程 2022年3月10日(木) 19:00~21:15(開場18:30
( 途中入場、退出、自由 )
■ 場 所 横浜市鶴見区民文化センター
サルビアホール.3階 音楽ホール
JR鶴見駅 東口 / 京急鶴見駅 西口 共に徒歩2分
■受講料 4000円
◆お申し込み、お問合せ等
白川真理女史( karadatoongaku@gmail.com )まで
氏名・連絡先・一行プロフィール(楽器名など)を明記し、お申込みください。

個別指導希望多数の場合は当日抽選となります。
また写真録音録画等は禁止とさせていただきます。

途中で換気・水分補給の為の休憩時間(10分程)を設けます。
懇親会はございません
マスク着用の上、ご参加ください。

3月の設え

2022-03-06 01:37:30 | テーブルコーディネート
もう3月?

本当に、あれよあれよという間に時間ばかりが過ぎていくのは、早くこの状況を抜け出したいからなのかもしれません。

早く、心おきなく集って、くったくなく大声で笑える日常に戻りたい・・

この自己流のテーブルアレンジをやり始めたのは、2年前。
自粛期間になってからの「おうち時間」を持て余してのことでしたが、これだけでも部屋の雰囲気もガラっと変わり、気分転換にもなるので、新たな趣味に。

今回は、桜を待ちわびて、というイメージで。
お花見に集まったのは先月同様、ヘレンドの動物さんたち大集合だワイワイ。
ピピが頭から齧ろうとするのを止めさせるためにとった手段はミカンの皮のオイルをプシュッと人形に吹きかけるという技。



重ねた桜模様のクロスを生かしたかったので、燭台は薬箪笥の上に。
この薬箪笥も20年程前、今はもうなくなってしまったリサイクルショップで見つけたものだけれど、実際に色々な薬を入れて重宝しています。多分1万円しなかったような記憶が。塗装も雑で傷も多く、実用的に使われていたものだと思います。
漢方薬の名前が刻印されているのも楽しい。



・・そして最近、端っこの角には、新たにピピの牙の跡が・・・
人間が食事中で、刺激されてお腹が空いている時や、構って欲しい時に、人の顔を見ながら「オラオラ~」とでも言うような感じで、耳を後ろに倒した「悪い顔」でカジ~ッとやってくれる。それだけ安心して懐いてくれたことが嬉しい。

それに、まあ、しょうがない。

だって猫だもの。






甲野陽紀先生の個別講座 4回目

2022-03-04 18:51:09 | 甲野陽紀先生の個別講座
前回から9日しか経っていませんが、本番直前にモデルチェンジしてしまうのは、なるべく避けたいので、本日、レッスンの前にうかがうことに。

前回の眼球操作は私にはとても効いて、まず、目が以前よりも見えるようになり、疲れなくなったことが大きい。

それまでは微妙に疲労していたようで、この目が修正されてからは、より良いコンディションで暮らしている。

そして何よりも、フルート!

前回、就寝時に、この眼球操作を行っている時に発見したのだけれど、呼吸にもとても良い影響を与えるものだった。

ハチミツ容器で金属の蓋部分をスーっと引いて出すものがあるけれど、鼻腔周辺が、スーっと空いて、勝手に空気が入ってくる感じ。

既に花粉も飛んでいて、先週から漢方薬も飲み始めていたのだけれど、この眼球操作によって、鼻奥が炎症し詰りがちだったのもなくなってスッキリ。

3月26日のコンサートを決めた冬には、うっかり失念していたのだけれど、花粉症でベストコンディションではないので、過去に3月に自主企画のコンサートをやったことはなかった・・ということに先週気付き、「あらまあ、どうしましょう?」とちょびっとだけではあるにしても、うろたえたのだけれど、これも、この眼球操作で、解決。

本当に凄い。

これ以上、何を私は欲張っているのだろう?・・

という気持ちで出かけた本日は・・

1.腰と足先
2.呼吸(3種類)
3.呼吸・・何処を意識するか

全く異なる次のステージに行けたかも??
というくらいの違い。

達人の技の秘儀をわかりやすくポンと放り出してくださるようなお話の連続に、本日も圧倒されたのでした。

前回からのものをまとめると・・

1回目・・「フルート体」・末端から動く
2回目・・足 、「ヒトデとウニ」(これは私のイメージ)
3回目・・下駄・目・置く
4回目・・足先・呼吸

もちろん、この根底にあるのは、それまで培ってきた抜刀の構えであったり、羊座りだったり、鯉口を切る手の内だったり、と色々一言では言えない前提条件があるのですが、今回の新たな息の操作により、なんというか手でせっせとスリスリして火を起していたのを、カチャっとライターで一瞬にしてつける、というくらいの差がある。

しっかり踏ん張って、腹式呼吸で、とやっていた20年前までの過去の自分を「原始的だったなあ」とあざ笑っていたけれど、まだ火打石レベルくらいだったかもしれないなあ、と今回本当に驚いた。

本番までに、これらが、無意識の内でも使えるようにしたい、というか、使おう!

3月になってからのウクライナの戦禍報道はさらに悲惨さを増し、シンパシーを感じている国なだけに、逆流性食道炎になってしまったのだけれど、今回の呼吸は胃にも良い作用を及ぼすのだそう。

情報遮断するのが一番良いのかもしれないけれど、それは無理。
気にしているのに、気にしないふりをしていることが気になるじゃない?

コロナ禍報道も含めて、現実をみな受け止めつつも自身がダメージを負わない心身を保つ。

前回、甲野先生が仰っていた

「波ひとつ立たない静かな水面」のような境地。

これは、そのままステージでの構えにも通じている。

そこまでの距離はまだまだ遠いだろうけれど、2年前の本番の時よりは、かなり近づけるのではないか?と。