1998年2月20日から3月23日までの約1ヶ月間、
生まれて初めての海外渡航で、スペインはマドリッドで
ホームステイ&現地大学での語学研修を受けてきました。
きっかけは、大好きなTM NETWORK
当時TMの歌の中でもかなり好きだったのが、SPANISH BLUEという曲でした。
スペインのアンダルシア地方を舞台にしたこの曲。
一部の歌詞をご紹介すると、こんな感じです。
コルドバ 乾いた風の広場
女達が裸足で踊るよ 君は今どこに
いくつも 恋の果実を食べて
綺麗になる娘の歌声 石畳の道
曲中のスペインの描写にいたく感激したと同時に、
本当にコルドバには乾いた風が吹く広場があるのか?
女たちは本当に裸足で踊っているのか?
そして恋の果実ってナニ??
等と疑問に思ったのが、私のスペインに対する興味のきっかけでした。
そして、短大1年の夏休み。
短大の図書館で書庫整理のバイトをしていたときに、
バイト仲間から運命のニュースを聞くことになりました。
春休みに1ヶ月間スペインでホームステイ&現地の大学での語学研修の旅がある。
ツアーの主催は、当時通っていた上智短大(と上智大学)の聖マリア修道女会。
そしてツアーの企画は大手の近畿日本ツーリスト。
サポート体制としては万全です
この機会を逃したらきっとスペインに行くことなんてないはず
と思い、その場で参加を決意しました
・・・が、少々問題がありました。
まず、これまで海外旅行をしたことが一度もありません。
しかもスペイン語は第二外国語でちょろっと習っている程度で、
とても生活できるレベルではありませんでした
しかも、同行する友達もなく、単身での参加です。
(学校主催のツアーなので、参加者は同じ短大&大学の生徒なので安心感はありましたが)
その上ただの観光旅行ではなく、
1ヶ月間ホームステイをしながら現地大学で語学研修を受けるという内容。
かなり小心者なので、勢いでツアーに申し込んでからもかなり悩みました
初めての海外なのに、一人でしかも長期にわたって現地でちゃんと生活できるのか?
別の機会に1週間くらいの旅行で行けばいいんじゃないか??
そもそも専攻している英語でさえ会話は苦手なのに、
少しかじった程度のスペイン語をしゃべれるようになるんだろうか??
自他共に認める人見知りなのに、初対面のホストファミリーとうまくやっていけるのか?
1ヶ月も自宅を離れるなんて初めてだからホームシックにかかったらどうしよう!?
しかし私自身、小心者な自分とはいい加減オサラバしたいと思っていたので、
ここらで一発大きなチャレンジをしてみようと決意を固めたのでした。
旅費は、確か40万くらい。
夏休み1ヶ月のバイト代が約20万円だったので、全額つぎ込んでも足りませんが、
両親を説得して援助してもらって、めでたくスペイン行きが決まりました
一度旅立ちを決意してからは妙に前向きになって、
「数字さえ分かればなんとか暮らせる」と思い込み、
出発までの数ヶ月間で数字だけはマスターして短期留学に備えました。
生まれて初めての海外旅行が1ヶ月間のホームステイということで、
普段から心配性な母はこれでもかというくらい心配してくれて、
3日に1回家に電話を入れるということと(現地に慣れてからは週に1度に免除してもらいましたが)
、
当時まだ未成年だったので絶対にお酒を飲まないことを条件に送り出してもらいました。
母方の祖母も母と同じくらい心配性だったので(血筋ってわけですね)
祖父母には一切ナイショで1ヶ月間の短期留学に旅立つことになりました。
出発の1週間前に今回の語学研修ツアー参加メンバーが集まって初顔合わせ。
今回は、上智短大から3名、上智大の外英が2名、
上智大のイスパ科が5名の計10名での参加となりました。
ツアーを企画してくれた近畿日本ツーリストの担当者の方に
詳しい情報と各自のホームステイ先を教えてもらいました。
出発前に各ホームステイ先に手紙を送りましょうといわれ、
辞書を引きながらやっとのことで手紙を書いて送りました。
内容としては、これから1ヶ月間お世話になります、よろしくお願いします、
というご挨拶と、生魚が食べられないのでご飯に出さないでくださいというお願いでしたが、
ステイ先のお宅到着後に手紙を見ながらお話ししたところ、
スペインは生魚食べないから大丈夫といわれ、
さらに封筒の宛先を見て「Madridと入っていないので間違っている」と指摘されました
近ツリからもらった資料の住所をそのまま写して書いたのですが、
日本の都道府県に当たるMadridが省略されていたので記載漏れになってしまいました。
でも無事届いてよかった
何しろ初の海外旅行なので、何を用意したらよいか分からず、
備えあれば憂いナシの精神で色々な海外旅行グッズを買い込み、
1ヶ月用の特大スーツケースに詰めて、旅の準備完了。
スーツケースは自宅から成田への配送サービスを利用して、当日は身一つで出発。
そして1998年2月20日金曜日。朝6時に起きて、7時に自宅を出発。
最寄り駅まで母に車で送ってもらい、
「行ってきます」と元気良く車を降りた後、
私の姿が見えなくなるまで心配そうに見送る母を後にして電車に乗り、
生まれて初めての成田エクスプレスに乗って成田空港に向かいました。
座席は少々騒々しいお客とボックス仕様で合席になってしまい、
やさしい車掌さんが「今日は空いてるから別の車両に移っていいですよ」
と言ってくれましたが、隣の話し声など気にならないくらいの眠気に襲われたので
そのままの座席で成田空港まで乗って行きました
生まれて初めて足を踏み入れた成田空港は、
テレビで見たよりもずっと大きなイメージでかなり圧倒されました
無事にスーツケースを受け取って、カウンターで受付を済ませ、
他の参加者とも合流していよいよ出発ゲートへ。
そして、ブリティッシュ・エアウェイズの飛行機に乗り込み、
ヒースロー経由でスペインの空へと旅立ちました
~つづく~
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