最初、基本的神想観 の 「 もはや吾れ生くるにあらず、神のいのち ここにありて
生くるなり 」 というところまで念じ、この心境が深まった続きとして
次の言葉を念じて下さい。
吾れ普(あまね)く我が全身を観ずるに
此身(このみ)このまま普賢(ふげん)の身(しん)なり。
六牙(りくげ)の白象(びゃくぞう)に乗り、花片(はなびら)が悉(ことごと)く
如意宝珠なる蓮華(れんげ)の宝座(ほうざ)に坐(ざ)し、
合掌の内に一大如意宝珠を持し、
全身の細胞 悉く如意宝珠にして 光明燦然として十方世界を照らす。
合掌の如意宝珠 またまた大光明を放つ。
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一々の如意宝珠に 三千の御仏(みほとけ)坐(ざ)し給う。
各々(おのおの)六牙(りくげ)の白象(びゃくぞう)に乗り、
花片(はなびら)が悉く如意宝珠なる蓮華の宝座に坐し、
合掌の内に如意宝珠を持し、
全身の細胞 悉く如意宝珠にして 光明燦然として十方世界を照らす。
合掌の如意宝珠 またまた大光明を放つ。
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※ < 一々の如意宝珠に またまた三千の御仏(みほとけ)坐(ざ)し給う。
六牙の白象に乗り、花片(はなびら)が悉く如意宝珠なる蓮華の宝座に坐し、
合掌の内に如意宝珠を持し、
全身の細胞悉く如意宝珠にして 光明燦然として十方世界を照らす。
合掌の如意宝珠 またまた大光明を放つ。 > ( ※ 繰返し 念ずる )
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全身の細胞の中に三千の御仏、すなわち普賢菩薩が坐って光明燦然と輝いておられる有様を
繰返し観ずるのでありますが、その時、今坐っている自分自身が白い象に乗って合掌して
光明燦然と輝いている普賢菩薩であるとして、その姿をじっと見つめ、それを繰返し念ずる、
細胞の中の三千の御仏と一体に重なっているようにじっと心で見つめ繰返し念ずるのであります。
普賢菩薩を自分と別ではなく、自分の中にある、自分の姿として観ずるのであります。
繰返し繰返し念じておりますと、もう自分が肉体ではなく、普賢菩薩そのものであるという
実感が湧いて来るのでありまして、これは非常に精神統一のしやすい所の神想観であります。
これを繰返して精神統一の極に入りまして、最後に 神想観をやめる直前に、
吾れ普 ( あまね ) く我が全身を観ずるに
此身(このみ)このまま普賢(ふげん)の身(しん)なり。
身量無量(しんりょうむりょう)、色像無辺(しきぞうむへん)、
音声(おんじょう)無限にして 虚空(こくう)に満ち、
六神通(ろくじんずう)自在にして 無限智、無限愛、無限生命なり。
よく一切衆生の苦厄(くやく)を度(ど)し、一切衆生の病悩を癒すのである。
これを繰返し念じて、やがて終るわけであります。
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