こうして身心脱落の心境に入った次には、本尊への精神集注(しゅうちゅう)を行うのであります。スター・デーリーは、キリストの姿を心に描いて、それに精神集注をするのでありますが、生長の家は万教帰一でありますから、キリスト教徒はそのようにして宜(よろ)しいですが、
浄土宗や浄土真宗の人たちは阿弥陀仏(あみだぶつ)の尊像を心に描いてそれに精神集注を行うのもよろしいし、真言宗ならば、大日如来(だいにちにょらい)の尊像又は「阿字(あじ)」を心に描いて、その本尊に精神集注を行うのが宜しい。
日蓮宗の人ならば、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」のお曼荼羅(まんだら)を心に描いて精神集注すればよろしいし、
今まで信仰なくして最初から純粋に生長の家だけの信仰に入った人や、「実相」の中に一切の本尊が存在すると云うことが理解された人ならば、「実相」の大文字を本尊として心に描いて、それに精神を集注するがよいのであります。
要するに本尊への心の集注によって、本尊の御遺徳によって、一切の雑念妄想が消え去るのであります。
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