☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

日本の建国の理念

2015-10-24 15:57:42 | 今日の光明法語

神武天皇、即位建都(そくいけんと)の大詔(おおみことのり)には

次の如(ごと)く 書かれているのであります。


「・・・夫(そ)れ 大人(ひじり)の 制(のり)を立つる、義(ことわり) 必ず時に随(したが)う。

苟(いやしく)も 民(たみ、おおみたから)に利(くぼさ)有(あ)らば、

何(なん)ぞ 聖(ひじり)の造(わざ)に 妨(たが)わむ。


且(また)当(まさ)に 山林(やまばやし)を披 (ひら)き払(はら)い、

宮室(おおみや)を経営(おさめつく)りて、恭(つつし)みて 宝位(たかみくら)に臨み、

以(もつ)て 元元(おおみたから)を 鎮(しず)むべし。


上(かみ)は 則(すなわ)ち 乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし徳(うつくしび)に答え、

下(しも)は 則ち 皇孫(すめみま)正(ただしき)を養いたまう心を弘(ひろ)めん。

然(しか)して後(のち)に 六合(くにのうち)を兼ねて 以(もっ)て 都(みやこ)を開き、

八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦(また)可(よ)からずや。

夫(か)の畝傍山(うねびやま)の東南(たつみのすみ)、橿原(かしはら)の 地(ところ)を

観(み)れば、蓋(けだ)し 国の墺區(もなか)か、治(みやこつく)るべし 」


これを略解(りゃくかい)して見ますと、

「 思うに 大人(ひじり)が制度を立てるにあたっては、必ずその時勢に順応(じゅんのう)した

良い制度を立てなければならぬ。

苟(いやしく)も 人民の利益になる事であったならば、たとい聖人の制定したものであっても、

その制度を変更するに何の妨(さまた)げがあろうや。 

( 註、ここに日本天皇の民主主義的性格があらわれているのであります )


朕(ちん)は、いま山林をひらき伐採(ばっさい)して 宮殿を築造経営し、

恭(うやうや)しい心持で 天皇の位に即(つ)き、人民の安寧(あんねい)と幸福とをはかるであろう。


そして上(かみ)は、神が国を授けたまう其(そ)の御神徳(ごしんとく)に答え奉(たてまつ)り、

下(しも)は皇孫(こうそん)以下が正しい心を養成するよすがとし、

そして天下を治める為の都をひらき、その徳をひろめて、世界の八方の荒れたる隅々(すみずみ)までも

一つの家庭として 人類は皆 兄弟として 互に手をつなぐべき目的を実現するために、

畝傍山(うねびやま)の東南、橿原(かしはら)の地に都をつくるであろう 」


この詔勅(しょうちょく)には 何処(どこ)にも侵略的な精神は見られないのであります。

世界を一家族として、人類を兄弟とする其(そ)の中心地として畝傍山(うねびやま)の東南の

橿原(かしはら)の地に都をつくろうと仰(おお)せられたのでありまして、

まだ此(こ)の詔(みことのり)には 「 大和国(やまとのくに) 」 と云(い)う国号は

あらわれておりませんが、此の橿原の地を中心に「大和国」と称せら れることになったのでありまして、

「大和(やまと)」 の国号そのものにも 全世界の人類が一つの家族として和合すると云(い)う

建国の理想があらわれているのでありま す。


( 谷口雅春先生 昭和 30 年 『 生長の家五十年史 』 437頁 )



「 天壌無窮の神勅 」

「 豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、

代々(よよ) 吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。

宜(よろ)しく いまし皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。さきくませ。

宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと 天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。」




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