心が型に捉(とら)われず、偏らず、かたくなにならず、すなおに、
そのままに、のんびりとなっている時に 神の智慧と本当に一致するのである。
湯川秀樹博士が中間子理論を思いついたのも 夕食後 何ら型にとらわれず、
そのままの気持で、のんびりと自由にしていた時に よき考えが思い浮んで来たのである。
力む事は 神の波長に対して不導体になるのである。
そのままが最も善いのである。
道元禅師の身心脱落、脱落身心の境涯である。
「 我 」 という力みが すっかりなくなってしまった時、
宇宙全体の智慧の波と波長が合うのである。
『 生長の家 』 昭和二十五年三月号 十五日の法語 谷 口 雅 春 先 生
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