神の智慧に頼るものは、自分の動きが たとい他から妨げられることがあっても、
それに対して不平をおこす事はないのである。
汽車にのり遅れても、あの汽車にのれなかったので何か不測の災に
出くわす事を避けることができたのだと感謝するのである。
自分にとって適当でないものが自(おのず)から妨げられて行く所に
本当の神の導きがあるのである。
自分のする事 何でも彼(か)でもやりとげねば 神の子らしくないと思うのは
「 我 」 の考えにすぎない。
『 生長の家 』 昭和二十五年三月号 十四日の法語 谷 口 雅 春 先 生
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます