できるまでやめない
それが成功の秘訣
志なかばで諦めてないか。
一歩一歩は僅かでも、目標は近づく。
コツコツと歩むのが人生の骨(コツ)
PTA本部役員としてデビューした平成15年度(2003年)
当時の私の感覚?は・・・
PTAそのモノを知らない?
アンチPTAとか
PTA不要論とか
そういうモノ以前の状態でした。
自信の関わってきた世界?尺度?を基準としていて・・・
正直??
PTAという活動に戸惑いを覚えた?という記憶があります。
知らない、解らない、というモノの怖さがあります。
ただ、逆に言うとしがらみのない?良さもありました。
二つのPTAの組織でのデビュー?戦??・・・
高崎市のPTA連合会の研修委員長という部分・・・
ここでは、その良さ?の部分が生きた?のでは??って
現在の市P連では、二つの委員会しかありません。(家庭教育委員会と情報委員会)
当時は、研修委員会、母親委員会、広報委員会の3つの委員会から構成されていました。
母親だけで構成される母親委員会・・・
私は、特色ある活動や独特な雰囲気?が大好きでしたし継続を訴えましたが・・・
母親という言葉の持つイメージが働くお母さんと専業主婦という双方?を生かし切れず?
家庭教育という大きなくくりの中で研修委員会と合併という形でその名前が消えました。
未だにもったいないと思っています。(この話は後日、また話題にしたいです。)
研修委員会・・・この研修という言葉の持つイメージ?活動?にもいろいろな考え方が
私は、二つの側面から活動を行いました。委員会内での学びと委員会外への発信?
元々?当時?研修委員会に求められていたモノは、3つの事業の運営でした。
決められた活動の継承であり実行というモノ・・・PTAという世界のしがらみ??