小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

「とんでもない時に春がまつしろの欠伸をする」

2007-05-04 22:57:07 | 読書
なんだかだとあちこち出かけた連休も折り返しは夏のような暑さ。昼は原稿やら家の仕事やらで過ごし、晩は塾で中学生と乗法公式をやる。暑いからか眠そうなM君にどうしたときくと、昨夜は先輩が泊まりに来たというので何してたんだ、ゲームと『ガンツ』というのを借りてきてみました、何だその『ガンツ』って『ロボコン』のガンツ先生か、いやアニメなんですよと、しばしサイトと youtube を見ながらM君の解説をきいた。
http://www.gantz.net/

「田中星人」とか「加藤君」とか不思議なやつらが出てきて、そいつらは実は死んでいるのに殺し合うのだという。しかもへんてこな声で主人公が歌うラジオ体操の「あーたーらしーいあーさがきた」ってのが流れたり、ちょっと私などがみると笑ってしまう方が多いのだが、M君はおもしろいけどコワイですよ、これがつええんですよよと、何だか本気のようだ。むう、しかしこっちはこういうのをみておもしろがれるはずがないので、んー、おれはでもほかにみたい映画だの何だのいっぱいあるし、こういうの10分みるの耐えられなそうだからいいよ、といって日曜にみに行った、甥のキックボクシング会場で意外に勉強になった話とか、塾OBでM君も会ったことのあるやつが高校生の頃、夜道を自転車に乗っていて「おう、オマエ、ちょっとバトろうぜ~」と戦闘のお誘いを受けた話をしてげらげら笑い、M君にこれも私は全然知らない『デスノート』の話をきいたりして乗法公式に戻った。

両親が迎えにきてM君が帰った後、先鋭化する中学生文化について少し考える。ありていにいえば、情報の氾濫に伴う刺激性のインフレ化なのだろうが、とにかく価値観に幅がなさ過ぎる。
強度、過激、意外、皮肉。それに反して、あきれるるくらいシンプルな快感や、これも快感の一バリエーションとしての友情などといった価値が、その実、東浩紀氏がいう「大きな物語」を書いたまま、ディテールだけが語られている。
そのつまらなさをわかってもらうのには、それより高度な快感をもってしかできないと中高生と付き合ってきてよく思うのだが、「大きな物語」を欠いているなんていっても通じるわけはなく、ひとまず戦前のターザンシリーズとか『巨人の星』、もうちょっと後だとひとまずニューシネマあたりをすすめてもみるが、通じる場合とそうでない場合があって十分な力は感じられない。

そこで、原稿に戻る前に、手近にあった萩原朔太郎を手に取る。

大正の世に斬新な感覚から絞り出した作品を放った朔太郎の作品は、今読んでもまったくもってヘンテコで素晴らしく、そして誰にも真似できない。たとえば、この季節にぴったりのタイトルと、あっけにとられるみずみずしさを持つこの一編。

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陽春

萩原朔太郎

ああ、春は遠くからけぶつて来る、
ぽつくりふくらんだ柳の芽のしたに、
やさしいくちびるをさしよせ、
をとめのくちづけを吸ひこみたさに、
春は遠くからごむ輪のくるまにのつて来る。
ぼんやりした景色のなかで、
白いくるまやさんの足はいそげども、
ゆくゆく車輪がさかさにまわり、
しだいに梶棒が地面をはなれ出し、
おまけにお客さまの腰がへんにふらふらとして、
これではとてもあぶなさうなと、
とんでもない時に春がまつしろの欠伸をする。
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春に浮かれるばかりではいけない、こういう春があることを忘れてはいけない、そう思わせるこの言葉はとてつもなく豊かで“とんでもない”

※ありがたいことに「青空文庫」にあったのでそのままコピーできました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/859_21656.html

(Phはやけに荒々しく写った自宅の今日の庭の熱い「欠伸」。BGMはJ-WAVE「洋楽キング」。多分、渋谷陽一にぶつけているのだろう好プログラムで近田春夫登場が嬉しい。今日はなぜかジャミロクワイの特集。さっきの「金持ちでしょう。家行ったら羊がいっぱいいた」ってのは笑った)

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