小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

「一人称で食べる権利」~西本、『窓ガラス』、ローラ・ニーノ

2008-02-09 09:42:55 | 週間日記
トップは、2月5日(火)朝撮影。
「2日後の雪、空へお返し」


うっかりまたも遅れ出し、2週間前日記です。

21日(月)昼、電話取材~夕方、取材で与野へ~着いてちょっと腹ごしらえはラーメン屋見つからず駅前笠置そばで天ぷらそば≒330円はなかなかうまい~取材2時間半後、駅近く居酒屋で打ち合わせ~帰深
22日(火)昼、原稿~晩は同級生Mト君邸に呼ばれ、OB・Y君も来て、建設、健康、物理などの話
23日(水)昼は雪~晩は出張授業~永華で塩ラーメン472円
24日(木)晩にのび太カレーうどん550円~塾
25日(金)昼は原稿~晩はミクシィの人とのオフ会で浦和へ~食べ物、長嶋茂雄、映画、ビートルズなどいろいろ話す~最終で帰深
26日(土)昼は原稿~晩はまた別のミクシィの人とのオフ会で蒲田でおでん。話題は食べ物、音楽、鳥、学生時代ほかいろいろ~またも赤羽へ。ネットカフェ入城前に駅前で天ぷらそば≒300円。なぜかジャンジャーエールとファンタレモンをがぶがぶ飲む
27日(日)起きて果敢にも、前夜と違う店で天ぷらうどん≒300円~帰深して午後から撮影~晩は塾

 サッカーはいつだったか忘れたが、早野解説復帰が嬉しくて泣きそうになったフラム:アーセナルとレアル:サラゴザはアイマールもいないし半分だけ。

【カウンター08】
ラーメン1/4 他外食4/6 外飲み2/5 アウェイ飲み2/5 TV海外サッカー1.5/4.5

前回の餃子には多くの反響もいただいたことだし、今回の週間日記付録は食べ物のことを書こう。
週間日記とずれるのでわかりにくいが、きっかけは雪の日曜の翌日、つまり4日の月曜。フランス語で「市場」という名にして高級志向を謳うスーパーが24時間制になったので、切らしたウィスキーを買おうと寄ってみたことだ。
この店は大ファンのキャラバンコーヒー&ティーカンパニー製品があるのでたまに行くが、それ以外の商品はあまり魅力を感じない。ウィスキーはよその店で価格調査したことあるんですかね、とききたいくらいだったのでやめて、実は冬でだけこの店で見かけたある商品を探した。
その名ぞカップ麺「ペヤングふる里うどん」。ささがきごぼうという大胆な具を導入した上州の傑作で、私は西の「マルタイ長崎ちゃんぽん」に対しこの商品を「カップ麺東の横綱」に認定している。
しかし武州ではめったに売られていないこの名作は、正規のカップ麺コーナーで見つからない。落胆して何も買わずに出ようと思った時、何というのかサッカーでいえばFWの位置にあたる、プッシュ製品が並ぶあの棚の折り返しのところにあの何も考えていないすばらしいパッケージが。味噌しかなかったがしかたがない。早速3つほどかごに入れた。
愛しのカップメニーナに会えた嬉しさからか、突如、いつもは眠りがちの買い物精に火がつく。勢いを取り戻した足取りで店内を進むとところてんが。なぜだか猛烈に食べたくなった。この点については後述するが、基本的に冬にところてんのような食品を食べるのは愚か者だという感を強く持つ私である。しかしあの不思議な食感を味わいたいといいう誘惑に勝てず、一番安い2個入りをかごに。何、冬の横殴りの陽が当たる昼間、アンディ・ゴールドマークでもききながらつるつるとかきこめばいいではないか。寒天なんてすぐに悪くなるでなし。

しかし予定外の物を買ったといえ、買い物は足りないので次はホームグラウンドにしている別のスーパーに。最近イオングループの軍門に下ったとはいえ、商品構成は近くの店でもっとも好みである。
いつものように、これは友人への応援商品たるブラックマッペもやし、ほかにきのこか何かをかごに入れて歩くと、海鮮コーナーに対するFWの位置に見慣れない商品が。商品名は「大判大黒」。単なる袋ラーメンなのだが、今時大黒さまと小判をあしらったイラストもとんでもないし、麺が通常の1.5倍なのはいいとしても、いちいち「麺が2つに割れる!」と主張した後、追い討ちをかけるように「大盛でもハーフでも」と説明しているところが尋常ではない。ちょっと考えると、2つに割れない麺が世の中にあるんですか、1.5倍を2つに割ったら、「1.5÷2=0.75」だから、ハーフじゃなくてスリークオーターじゃないんですかと思ったりもするが、この大胆な勇気に敬意を表し3袋入り1パック、ついでにとなりにあった「大黒軒みそ仕立てうどん」というカップ麺もかごに入れた。ついでに、これは現在のところ乾燥そば界の王者に認定する沢製麺「信州更科」、全部買ったところで今回の買い物としては異質な、キューピー「パン工房 ベーコンエッグ」という調味料を初めて購入したのだが、最後の商品については別の機会に譲ろう。

私はなぜこれほどまでに、こうした商品群に惹かれるのだろうか。
ちなみに食品の場合、CMをやってるものはできるだけ買わないという個人ルールがある。というかあまりCMをしているような商品には胸がときめかず、まるで買う気が起こらないという方が正しい。なので、コンビニで食品を買うことはほとんどなく、安売りの○○○薬品とかそういうところに行くと心が躍る。
そりゃあ、中学生あたりがCMをみて、マック何とかが食べたいと思うのは無理もないとも思う。自分だって赤城おろし吹き荒ぶ奥関東で、「牛丼一筋はちじゅうねーん」とCMをみて、あれはどういう食べ物だろうと夢ふくらませていた頃もあった。
しかし、四十を越えた大のおとなになればそうはいかない。CMを見て店に行ってあああのおいしそうなのはこれだと思うことより、突然店で初めて見て、むう、これはわけがわからんがすごそうだ、と手を伸ばすことの方がどれだけエキサイティングか。そう、これは食品購入におけるイノベーションなのだ。
帰り道、こうしたあれこれについて考えていて、思い浮かんだ言葉がある。

「一人称で食べる権利」

出典は詩人長田弘のすばらしいエッセイ『一人称で語る権利』。「食べる」に関しても、忘れてはいけないのは「一人称=私」ではないか。
愚かな舌や精神は、みんながおいしいといってるから、テレビに出てるから、と「一人称を三人称に溶かしていく」ことを「食べる」ことと見誤る。食べるのは「誰か」じゃなくて「一人称」なのだ。私がこうした無名の星のようなジャンクフードから得る「気分」は、実はこの「三人称」からの開放感なのではないだろうか。
「三人称」は均一化するのが、徹底したマーケティングが進んだ高度情報化社会の常だ。もう10年くらい前か、当時の中学生が楽しそうに食べていた棒状味つき小麦粉お菓子の日本のお菓子離れしたパッケージ。それにそっくりなデザインが数年前、現在シェア1位という複数女優のCMが話題のシャンプーとして現れた時に何ともいえない違和感を感じたが、この「何でも同じになっていく」感じ、それが「三人称」の息苦しさなのだろう。「大判大黒」のおむすびころりんのように動いていく大判を見よ、「ペヤングふる里うどん」のいったいこれはどこなんですか、とききたくなるような水車小屋のまわる音をきけ。

そうだ、とここで『一人称で語る権利』から、もっとも印象に残っているフレーズを思い出す。例によって本が見つからないので不正確だがそれは「この世界で自分の身長の分だけ生きたい」。そうだ、いいたかったのはこのことなんだ。

「この世界で自分の身の丈の分だけ食べたい」

ちょっと話はそれるが、ここで「身の丈」ということについて書いておきたい。この言葉でよくおぼえているのは、劇作家山崎哲の劇団にいた友人から20年くらい前にきいた山崎が酔っていった野球選手評だ。
曰く「西本ってやつあ自分の身の丈で投げてっからだめなんだ」。巨人ファンの劇作家が、当時の投手二本柱、江川卓と西本聖について語ったもので、まだ20歳そこそこだった私は、その慧眼にうなった。確かに西本の外角低めのコントロール、右打者を詰まらせるシュートは見事だ。ただ江川掛布や山本浩二に対した時のような、「身の丈を越える瞬間」はない。自分の劇を映像に撮らせなかった山崎らしい論点で、これをきいた若い私がうなったのも今となってはよくわかる。
だが、それは「非日常」を仕事とするアスリートやアーティストの話だ。「食べる」という行為は、時に「ごちそう」という名の「ハレ」の場があるのは認めるとしても、基本的には「日常」=「ケ」、「身の丈の分」だけ食べていればいいのではないだろうか。
そりゃあ私も20年代の頃には、「このカニは今朝北海道から空輸されてきたんです」なんて聞いて喜んでいた時代もあった。しかし今思えば、そんな身の丈を越えたものなんか食べなくても困らない。
思い出そう。たとえばソリッドな木綿豆腐は、豆腐屋から遠いところまで持って行っても崩れないようにその丈夫さを競って現在のかたちになったという。雪深い山地で冬に緑の葉っぱを食べようと思えば塩で漬けてとっておく、そうやって人々の暮らしは成り立っていた。
冬場のスーパーで場違いの場所に連れて来られたようなきゅうりを見ると、時に悲しくてやりきれなくなる。きゅうりは暑い夏に畑から採ってまだとげとげしたやつを、ぱりっと食べるからおいしいのだ。こんな寒い時期に何のためにきゅうりが食べたくなるのか。
じゃがいも自宅で採れたのが物置にあるので、みずみずしい新ジャガから彼岸を越えて芽が出てほとんど捨てるところばかりになったものまでその時期にあわせた形態を食べている。たまに「名産」という「三人称」で語られた北海道じゃがいもなんかをいただくが、冬になっても芽が出ない発芽抑制剤入りはやっぱり気持ちが悪い。
忘れてはいけない。ニンジンはニンジンくさいんだ。ベータカロンチンのおかげなのか何なのか詳しいことは知らないあのニンジンくささといっしょじゃなきゃ、ニンジンの苦しいようなおいしさはありえない。食べたいのはでっかくて色が上品で見てくれがいいばかりのニンジンじゃなく、ごつごつしてうっかりすると割れてしまうバイタルな赤いニンジンなのだ。
一人称で食べたい。身の丈で、当たり前のものを。

と、そんなことを考えた月曜。帰ってさらに仕事をするために楽しみだった「大判大黒」を食べた。「割って2つ」のためにスープが2つある。これぞホスピタリティ。もやしや白菜、ニンジン、生協の冷凍豚細切れ肉と煮たら一つのどんぶりには入り切れない。すごい。食べたら腹いっぱい。仕事は進まず寝てしまった。
翌朝、起きてあわくって仕事して、陽が当たるところで食べたところてん。うまい。本当は夏に食べるものなのにな。
食べ物って何だろう。そう思ったところで、ティーがにゃんにゃんと呼ぶ。思い出したのは中島みゆき作詞、研ナオコ『窓ガラス』の一節。

それよりも雨雲が気にかかるふりで あたしは窓のガラスで涙とめる

この「それよりも」よりすごい「それよりも」を私は知らない。この頃の中島みゆきの歌詞は、西本のシュートと同じくらい切れてたな。
ラーメンから抜いておいた豚肉片がねこの前ではねる雪あがりの午後。

(Phは1月30日、畑で背中かしゅかしゅのティー。BGMはこれぞ一人称、ローラ・ニーノ New York Tendaberry)

これぞ一人称食品群


1月30日、ホトケノザは気が早い


同日、畑で背中かしゅかしゅのティー
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