ベートーベンピアノソナタ全曲演奏に挑戦中のフェルナー。5回目の今回は第12、13、14、22、21番(といっても私は今回初めてこのシリーズに気がついた)と中期の作品。14日にウィグモアホールで聴いたときには、なんとなく「こじんまり」していると思った。まるでメトロノームで刻むようなテンポ感や、音量がコントロールされすぎているように思われたからだ。
一方叙情的な部分の演奏の美しさには特筆すべきものがあると思った。特に22番の第三楽章など、天にも昇れそうな音なのである。このギャップというか不完全燃焼が気になってブログにアップできずにいた。そんな折、週末の予定を立てようとぐぐっていて、同じシリーズが16日の土曜日にパリであることに気がつき、ガボーホールを訪ねた。
こじんまり、というよりは、やはり非常に計算されコントロールされ尽くされている、という印象を強く受けた。ペダリングも、残す音、それにかぶせるように演奏される次の音、といった意図がクリアに思われた。叙情的な部分の演奏が特に美しいのは、音の美しさに対するこだわりが人一倍強いからに違いない。14番(月光)の第一楽章では、あまりの美しさに、会場が水を打ったように静かであった。皆が一緒に演奏している、あるいは皆がまるで「静寂」を聴いているかのようであった。21番(ワルトシュタイン)の第三楽章も同様。
ロンドンよりパリのほうができも良かったのか、あるいは会場の問題か-ウィグモアホールはピアノには残響が長すぎるようだが、ガボーホールは古い映画館のようなホールなのだが、なかなかどうして、ピアノの音がとても美しく聴こえた。
2回の演奏会を通して思うのは、フェルナーのベートーベンはとても不思議だった、ということだ。「ティル・フェルナーのベートーベン」、なのだろう。正直私にとっては、ベストとは言い難いのだが、彼のオリジナル、ほかの誰も持たないベートーベンであることは確かな気がする。そして叙情的な部分の美しさに、思わずシューベルトの遺作ソナタのレコーディングをリクエストしてしまった。
それにしても、流石パリ。チケットセンターは土曜日は13時からというので足を運ぶも居たのは守衛さんだけ。彼が連絡を取ってくれて、指定された時間を目安に会場へ行くが、相変わらず関係者は誰も居ない。そのうち、なんとティル・フェルナー本人がやって来た。勿論、彼すらも中へ入れない。結局15分ほど待つと会場係がやってきてフェルナーは中へ。
と、こんなやり取りがあったおかげで撮らせていただけた写真。
ま、いい加減なパリも悪くはないか、こんな「おまけ」があるのならば。