紅茶に添えられたマドレーヌで幼少時代を活き活きと思い浮かべるのがプルーストならば、リッツのクロワッサンに懐かしさを感じて、それが「何故なのか」を分析してしまうのが私であった。
リッツのクロワッサンは生地を作った最後にきちんと水溶き卵黄を表面に塗っているのだと思う。その卵黄の焼けた香ばしい味と香りが口の中一杯に広がるのだ。懐かしい、と感じるのは、日本のパティシエがクロワッサンやパンオショコラを作る時にこれを実行しているからなのだろう。
リッツパリのキッチンで働く日本人で、前回Bar Vendomeでお目にかかった方と立ち話をする機会を得た。彼によれば、フランス人は不思議な人種で、普段はだらだらしていて少しも仕事が進んでいないように見えるけれど、なぜか最後はきっちり合わせてくる、という。知人でParisで長く仕事をした方も同じことを仰っていた。今回カラーリングにチャレンジしたリッツの美容室の仕事ぶりもそうだった。
こんな風に「フランス人」というステレオタイプはあるし、Parisに対する共通の憧憬が世界一の観光都市を生んでいるのだろう。
一方で、Parisで働いているのはParisien、Parisienneばかりでなく、世界各地からやって来た人々だ。Ritzでの案内係はオーストリア人だった。日曜日には日本人と思しき女性が、ロビーからテラスから、飾られている花の手入れをされていた。Guerlainのお気に入りの店員さんは東欧の方。人間だけを見ていると、もうそこがどこなのか言い当てるのは難しい。ParisもLondonも。それでも、ParisにはParisの匂いがあり、RitzやHermesにはそのブランドの特徴があり、それを期待して私たちはこの街を訪れ、店を利用する。アイデンティティを規定するもの、それは、一体何なのだろう。サービスや品物の質なのか。歴史なのか。あるいは伝説なのか。