バルセロナといえば、ピカソ美術館。彼が人生の一時期を過ごした街であり、美術館には彼から寄贈された作品も所蔵されている。
想像していたのとは違って、こんな路地の一角にあるのである。
今回印象に残ったのは、3作品。
1つは17歳の時の作品、Science and Charity
これが17歳の描く絵?こんな絵を描く級友がいたら恐ろしい(でも友達になって1枚もらっておくのは良い考えだ)。
Blanquita Suarez。これを見ながら、キュビズムと音楽について考えた。この作品は比較的理解しやすい絵と思うが、現代絵画も音楽もこんな風に対象が分解され、再構築される。そのときに分かりやすい再構築もあれば、分かりにくいものもある。作家が再構築仕切れないこともあれば、鑑賞する側が再構築を理解できないこともある(ただし、どちらの責任かは神様でない限り言い切れないだろうが)。また、美術作品はこうして目の前に同時的に現れているが、音楽は時間芸術であり、記憶を保持仕切れないがゆえにより理解しづらく、現代音楽は現代美術よりpopularityがない可能性はある。
物理や数学が、それぞれの個人において、ある時点(レベル)で理解できなくなるように、音楽や絵画にも同じような、「再構築の限界」といったものが個々人にあるに違いない。ただ、優れた解説者は、それを誰にでも分かる形で、簡潔に解説することができるのだろう。
もう一つの作品は、ピカソ美術館のハイライトの中には入っていなかったのだが、ベラスケスの「ラスメニナス」からの習作のような小さな作品。「さっくり」描かれているのだが、そのあまりのうまさに、関心するやら、欲しくなるやら。
そして、この若い頃の作品が多く収蔵されるというバルセロナのピカソ美術館を訪れての感想は、天才ピカソといえども、本当に多くの人の影響を受けて育ったのだということ。まるでロートレック、まるでセザンヌ、まるでシャガールという作品の数々。決して孤立していたのではなく、多くの人から多くのことを学び大成したのだ、また人は20歳くらいの若い時期に新しい環境に身を置くとどれほど多くを学べるかということを肌で感じることができた。もう私には遅いが。