昨日は南房総に住むNちゃんと電話で話をした。
東京でセミナーがあるらしく、夜遊びまで付き合えず体力はないが、
一緒に泊まろう・・・ということになり、某デザイナーズ系のホテルを予約した。
(支払いはNちゃんがしろ・・・と毎日念じる私、笑)
遺伝子について書かれている本をそろそろ読破しそうになっているが、
簡単に書いてあるだろう内容が、私には簡単であるほど、難しくて深い。
たとえば、「根拠のない自信」や「インテリの悲観論よりアホの楽観論」
もちろん、この"インテリ”には私は当てはまらないため、
アホの楽観かぁ~と自分の人生を振り替えすことしばしば、
確かにアホであったからこそ、世界中を放浪して、NYでは300ドルで一ヶ月過ごした。
食事も宿泊費も含めて。
捨てる神があれば拾う神ありで、いまでも拾う神であった人たちは
私の大切な友人になって久しいのだが。
持って生まれた遺伝子は、環境で大きく左右されるのではなかろうか。
親を恨むよりも、環境を恨むよりも、まず自分でその恨みから開放してやればいい。
とはいっても、そんなに簡単なことじゃないとお叱りを受けそうでもあるが、
結局のところ、私はストレスケア病院に入院して思ったのは、
患者は皆いい人たちだし、なぜ、ここに入院する羽目になったのか?と考えたとき、
無神経なひとりのケースワーカーなのか看護士なのかわからんが、
なにしろ、たったひとりのスタッフと比較することで、妙に腑に落ちる部分を感じた。
つまり、ストレスケアで働く健常者がいかに教育を受けても、
心のどこかで不満やストレスがあるとそれが弱者である患者へ向かう。
言い方や声色、態度、などその情報を患者は恐ろしいほどに感知しているというのに
そこに関与するスタッフは、感知できないのだろう・・・・と結論に至った。
私は宗教を持ち合わせていないが、祈りたい。
こんなにいい人たちが世の中で活躍し、自分を生かせる世の中に戻れますように、と。
勝ちや負けではなく、笑みの絶えない生活ことが、幸せだと認識する社会になりますように、
ここですら医療格差を痛感して、私の心はひどく痛むのだから。
祈