かつて、臨床心理学者の河合隼雄氏と対談の機会を得たとき、
人間が身につける謙虚さについて 話題が及びました。
そのとき、河合氏がいつものように飄々とした風情で
静かに語られた言葉が心に残っています。
人間、自分に本当の自信がなければ謙虚になれないのですよ。
その静かな言葉の奥にある人間洞察の鋭さに深い共感を覚えていると
河合氏は、さらにもう一つの言葉を続けました。
人間、本当の強さを身につけていないと感謝ができないのですよ。
たしかに、この言葉は真実なのでしょう。
他人に対して尊大な姿勢を示す人物からその内面の自信の無さが伝わってくる。
他人に対して感謝のできない人物からその内面の弱さが伝わってくる。
そうした経験は、しばしばあります。
しかし、河合氏のこの言葉を深く味わうとき、
実は、この言葉のその逆の真実を教えてくれていることに、気がつきます。
他人に対して謙虚に処する行いを続けているといつか、深い自信が芽生えてくる。
他人に対して心から感謝する行いを続けていると、自然に自分の心が強くなっていく。
そのことに、気がつくのです。
田坂広志氏の「風の便り」より引用
*
「権力」というぶつかり合いの中にいた一週間を振り返ると、
所属(一応)会社役員たちの顔、医師たちの姿、そのたいろいろなことが浮かんだ。
実はある方から届いた突然の電子メールには「女を利用して縁をつくっているのだろう」と。
つまり、権力者と寝て、そういった恵まれた機会を得ていると誹謗中傷を受けながら
私はこの一週間をどうにかやりくりしてきたのだ。
本来会社側である顧問弁護士が私の味方についてくれていること含め。
思いは伝わる。
その誹謗中傷の返信には、その一言だけを記しアドレスからその方の氏名は削除した。
努力などという言葉を使うつもりはないが、
会社へは容赦を、某医学学会には礼儀を、それを理解してくださる方は必ず存在するのだ。
しかし、その中傷は年配者から届いたものであったので、さすがの私も落胆した。
女を使ってか・・・・・・
逆に男社会である両者共、浴びせられる視線は棘のように痛みを伴うものもあったし、
関係者とみられる中年の女性がそのように私を取り扱っていることを感じる出来事もあった。
けれど、私は通った。
毎日毎日、その中年女性とすれ違ったが、
睨まれるだけで会釈にはなんのアクションもなかった。
もうすこし若ければ睨み返したのだろうが、そんな元気もなく、相手にはしなかった。
参加する主旨はその視線と闘うためではないのだから。
特別招待客としてのご厚意を無にはできないこと、
それはその立場ある方と私がご縁の恩恵を受けたことへの深い感謝の上に耐えてこれたのだ。
失礼のないように服まで新調した。
それは私自身のためではなく、某医学学会を成功へ導くための、ご厚意を賜った方への敬意、
英語でいうならばおそらくすべてへのRESPECT、
同じ空間に、会場に、権威ある方々の口演や議論の中に身を置くこと、
失礼なく過ごすことは、そうしたみえないひとつひとつの礎があるのだぞ、と
今回の非病中傷に対し、心の中で思うだけに留めたことは
動かされた心のまま参加することすら失礼にあたると思えたことだったからだ。
他人に対して謙虚に処する行いを続けているといつか、深い自信が芽生えてくる。
他人に対して心から感謝する行いを続けていると、自然に自分の心が強くなっていく。
そのことに、気がつくのです。
今朝、届いた電子メールを開けると、田坂広志さんの言葉が「頑張ったね」と聞こえた。
はい、頑張りました、と私はその声に微笑み、
東側の窓から部屋に射し込む朝日に目を細めた。