ははのひ。

2023-05-14 08:02:14 | memo。
筆洗がお書きあそばすラスト。少子化と「少・母親」化。

母の日だから事実をそう書く。子があっての母、子にとっての母という冒頭とその結末との乖離に思いが及ばない筆洗ミソジニーか。


子育て眼前日々刻々。子がない者同士としてABさんとその妻に、あり得ない期待を彼が死ぬまでいだき続けていた。そしてまたアタリマエの、子を持つトップが立つ。じつに不思議でならないのだ。母と娘を含む子を苦しめるのが政治なのか。











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宮子あずさの見識。

2023-02-06 09:45:02 | memo。

最近の朝刊で見た記事を思い出した。障害者に相対するときの日本人の感覚をガイコクジンのそれと比較する文章。問題提起としての記事だったかもしれず、連動的に自分もその視点で考えてしまう。愚かで滑稽。






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ミシンと金魚。

2023-01-20 19:27:55 | memo。
泣くよ。
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#没入型パフォーマンスFORMULAぐちめも。

2022-10-23 17:11:10 | memo。
おととしだったろうか、コロナで中止になったとの掲示に同じ劇場前に立ち尽くし、まあそのおかけで自由学園明日館を見に行く気になれた、のは。 去年は横浜に森山のザッハ関連ダンスを見に行けた。きょうのは微妙で、つい先日ぎりぎりにチケット予約し、現地では展示演出もあり微妙から真っ当に育ったその期待が、前に居並ぶ人頭隙間から床にまとわりつくダンスのみならず見えづらい4列目最端にて秘やかに霧消した。

けれど、拍手する。設営を見た。動きは見た。見えるとこ見たたくさん見た。気もする。素晴らしい衣装を見た。淀みない科白を見た。

(むかしとーっても見づらかったピナ・バウシュ、あれはプレイハウスではなかったような気がするが、やはり池袋だったような。。。)



微かにも比較優位な印象。ホワイエと称する空間、女子トイレ先の山極壽一の映像。視線同調シンパシーからコンパッションへゴリラもチンパンジーもそれはできない類人猿にはできるそれができる人間といふものは的な前提で論が進む。私はアレを指差して利用者さんにアレの名を告げて同調を目論む都度空振りと相なっております。人間と他生物との差異、人間の優位性ならずとも特徴的なことに「思い込みの当たり前」を当て嵌めていることがなんとおおいことかと。










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映画#福田村事件。 / チラシが、来た。

2022-09-29 11:52:15 | memo。

井浦新 田中麗奈 永山瑛太 東出昌大 コムアイ 向里祐香 松浦祐也 木竜麻生
杉田雷麟 カトウシンスケ ピエール瀧 水道橋博士 豊原功補 柄本明



役者を見にいく。






───
2023-08-04 チラシが、来た。






───
2023-08-24 ネット書簡の一部完コピ ↓

観る側と観せる側とが言葉でやりとりする質疑応答は、作品で構築した間接話法や隠喩をぶちこわす。

だから『i-新聞記者ドキュメント-』のラストで、自分の声でナレーションを入れることを決めたときは、かなり逡巡しました。でもあのときに決断した理由は、映画ではこれまで封印してきたナレーションを使うことで、語る言葉以上の意味に多くの観客は気づいてくれるはずと考えたから。つまりナレーションを入れるという作為を示すことが、ある種のメタファーとして機能する。でもこれは、森の作品をこれまで観てきた人たちに限られる。マーケットが小さいドキュメンタリー映画だからできたこと。
ちなみに、情報はいっさい出さないという姿勢は、ジブリの今回の戦略だ。いや戦略ではない。宮崎監督は、ようやくここまで来たと思っているはず。取材に応えず情報を出さないことが宣伝になる。それはジブリだからできること。僕がそんなことをしたら、パブリシティが出ない。ならば多くの人は映画の存在すら気づかない。作ったからには多くの人に観てほしい。それも本音。だから今は、必死に取材を受けています。
でもそれも公開まで。公開が過ぎたら(いくつか断れない舞台挨拶はあるけれど)、この映画を過去にしたい。言葉を封じたい。今はそう思っています。









映画 福田村事件
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にっき。

2022-09-04 07:38:34 | memo。

(画像はおとといの吉祥寺東急屋上から。)


久しぶりに新聞を手にしたら薄くなっていてカナシイ。。みたいな投稿文が新聞に載っていた。あなたってタノシイ。とか何とかこねくり回しているうちに、あそうかネット新聞購読者なのかなと気づくのがオソイ。
私はその薄い紙新聞を毎日手にしている。しっかり見るのはさらに薄く、欄外広告と番組欄とマンガ。雑誌の小見出しをそんなにいっしょうけんめい見なくても、と自分で思う。

きょうは、茂木健一郎さんの著書の広告(見出し)。日記を書く習慣をつけるとボケないとか。
ブログも「日記」として、そういえば、去年かな今年かな、何でもいいからなるべく書こう、と、ここに書いた。でもまんいちまいにち実際書いてたら、想定唯一読者の自分に完全に見捨てられるだろう。



検索してみました。
「あえて日記を公開する「公開日記」の効果とは?」というサイトがあり、その中にこんな数行が。

・未来の自分でもわかりやすい
公開日記は、他の人にもわかるように書きます。
ということは未来の自分が読むときも、分かりやすい日記が書けるということです。


わかるかわからないかをあまりかんがえない。書いたその日に読み返した場合でももうわからない自分の「日記」。去年あたりまでは、PC入力も多かったから指の運動になっていました。ほとんど右手人差し指1本入力の今、指先神経疲労が意識されております。






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いま。

2022-08-28 07:03:11 | memo。
テレビをつけたら安藤玉恵小泉今日子木野花だった。ラッキーな?
さかなのこ見に行こうかな





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たらればむなし。

2022-08-19 09:42:53 | memo。


姪は合同結婚式を経て、韓国人の妻、専業主婦となった。数年前の夏、成田空港で一家に会った。以前から、夫はやさしく経済的にも安定していると聞いていたが、リアルなその表情は幸せそうにしか見受けられない。


SPが適切に対処し、ABさんがお元気であれば、殺人者とその行為周辺報道にほぼ終始しただろう。
姪がかの団体に深く関わっていることを知ったあの時代、ネットなどの情報を毎晩漁り、拾い集めて印刷したA4の束を姪に送りスルーされ、あらおばちゃんいろいろ調べたのねえと微笑まれた。無駄な労を惜しむよりも、立ち尽くす思いだった。イメージとしての信仰というより、生活、日常であり唯一世界。

そのA4の束に入れない情報の中には勝共連合も当然入っている。後に、たまに出てくる断片報道は日本会議などにも毎度触れていた。



いしいひさいちの地底人のイメージまいど。箱が傾くとザザザー と挙(こぞ)って片縁、片隅に流される。あっちに傾けばまたザザザー。


あるひとつの命をまもれなかった。
軽傷で済んでいたら銃撃の理由に関する報道は、とは、さてもむなしい。




それこそが命を奪ったのでしょう?




 
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としよりなかま。

2022-08-05 14:27:11 | memo。


ほぼ草創期から見(聴き)に行っているアマチュアブラスバンドのアンケートの年齢区分ラスト「60歳以上」が分割(60、70、80代とか)されていることに今回気づいた。
主軸となるメンバーが60歳周辺に至り、自分のこととして80歳とひとまとめにされることに違和感をいだいたのではないか。と想像する。

NHK-BSのサイモン&ガーファンクルコンサートインセントラルパークNY1981をなぜか録画してあったのを念のため再生してみたら岡田准一と岡村隆史を足したようなポールと無垢にしか見えない自閉症みたいなアートとのそれぞれ外見とオンガクとをBGMにして、画面下の英語字幕をいっしょうけんめい追うに至った。



見知った単語がならぶ。。。わからない。ものすごくわからない。まったくわからない。


とめた。


近所の図書館に訳詞集があった。しかもその訳は山本安見だ。むかし持っていたジョン・レノンのソロアルバム数枚が山本の訳で、ひねりかたに独特のものを──英語のわからない私が日本語訳だけ見てそのひねりかたなんて言うことがおかしい──感じていた。
山本安見の訳をもってしても
詩集として私にはあまりおもしろくなかった。無教養により固有名詞や暗喩がわからないことが大きいのか小さいのかはわからない。

ただ、ウッドストックの動員数を超えた1981年の当日限定(ほぼ)の復活デュオコンサートのアンコールに応えて、次の曲が歌われたのだ。
ここで詩集(シンコーミュージック刊)に戻り、日本語訳詞のほうを無断コピペする。

旧友 (1967)

年寄り仲間が
公園のベンチにブック・エンドのように腰を下ろしている
芝生の上を舞う1枚の新聞紙が
老人たちの深靴の
丸いつま先の上に落ちる

年寄り仲間 冬の道づれ
老人たちは外套に埋れて
日没を持っている
街の喧騒が
樹々のあいだを通り抜けて
壁のように積もっていく

老人たちの肩の上に······
今から何年もたった頃の僕たちを想像できるかい?
公園のベンチにひっそりと腰を下ろす自分たちの姿を
70歳になるなんて ひどく奇妙な気がする

年寄り仲間
想い出は同じ時代をかすめて通る
ひっそりと同じ怖れを分かちあいながら……







ポールが20代のときに発表されたものらしい。
こんな想像ができた20代!と、ここでちょっとひっかかって詩集をめくることになった。



年をとるということは年をとらないとわからないというより、想像し得ない、想像しにくいものだと思う。ページ冒頭に戻る。ブラスバンドのメンバーの多くが80歳になったら「80歳以上」が分割されるかもしれない。60歳には自分の17歳のほうが自分の71歳より近い。

それでなければ生きていけないしすてむとか。



やや似た感覚が私に自覚されたのは40代かと思う。24歳のときに、自分がいま40代だったとしてもおかしくない、長生きしてしまったなあと思ったことを背景とともにリアルに思い出したその40代のときに。

いま、私には難しい。実年齢に追いつかない。追いつく努力をしている。必要な自覚というより、損失、害毒かもしれない。
実年齢に追いつかない。そういう人を何人も見てきた。「私、実は60代なの」「こう見えてもボク、ramenさんより年上なんだよ」、言われるたびに、知ってますいやもっと上かと思ってましたごめんなさいと心中つぶやきながら、ひどく驚いてみせるしかない。
ぜったいいいじゃんねえ、若く思えるほうが。




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やかん麦茶もCMでシルジダイのアイスかふぃ。

2022-07-30 06:29:44 | memo。
(むりやりいれたみずいろは、ハエ取り紙です。あんなに翔んでるコバエさんたち。 エジキになったのは2匹のみ←2日半・・・。)


久しぶりに低温殺菌牛乳を買う。牛乳とパンをあなたはやめたほうがいいと読者を諭す女医の本を眺めてから数年。最近やっとほぼ買わなくなったのが牛乳。オムレツもめったにつくらないし。
コーヒーのために買いました。

検索すると、バリスタさんだかなんだかさんがホットコーヒーを冷蔵庫で冷やすのがいちばんおいしいと。ほかの食品はどうなるのさ。
詳細↑は見ずに、最近やってる麦茶冷やし方法を採用。


上の写真の方法で水を2回替え、容器(?)に移してから冷蔵庫へ入れました。あとで牛乳入れて飲みますが感想を書く予定はありません。




•やかん麦茶
ヘルパーステーションでまめにやっているかたがいて、最近うちでもやるようになりました。もちろん麦茶自体はティーバッグですが。
(驚かれるほど味に疎い者ナモノデ) 味はともかく、いったん沸騰させているっつう、なにか安心感が。




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