聴いても意味ないしわかんないだろうけれど高遠菜穂子さんの地元講演にも行こうとする。きょうじゃないよ。情報は一つの先入主をつくる。数が増えれば具体的なイメージ烙印が形作られる。増える情報の源が偏っているのかどうかも私にはわからない。ポジティブなら世間的にすてきだけれど、ネガティブなら私が好きだ。
何年だったかはともかく火曜日だったことは確かで、いつもならお茶から帰るとすぐに片づけを始めるのに、あのときは靴を脱ぐと真っすぐにテレビのある部屋へ行きそのまま画面に吸い寄せられた。一撃目の速報映像が繰り返される呆然の前に、その目の前でってテレビの前だが、次の一撃が突入するさまにまさに言葉を失う。
いろんな思いがすてきな活動を形づくっていく。9・11が近づくとうんざり感がと言えば日本と世界の平和主義者に白い目を向けられるだろう。木を見て森を見ない私と、森の偉さに木を赦す世界。アメリカというものをめぐっては時空の歪みを思う。