夏の盛りに子連れ結婚式を挙げた姪の義父(推定52歳)について、「ネットでニュースを見るから新聞はとらないんだって。変わってるよねえ」と、兄嫁があきれた口調で私に向かって言ったときに、私は「^_^;」であった。変わっているとは思わないが、変わっていると思う人を変わっているとも思わない。
けさの朝日新聞では、ネット調査は有効かというような記事をほぼ一面で扱っていた。また何を今さら。と思うふまんたれぶぅでござった。
新聞記事は、朝日だからというよりも、なにごとにつけてもそうですが「持っている人の感覚」ってそういうもんだよなあといううろたえ衝撃です。
私は確かに持ってはいるし、パソコンを通して得た恩恵は少なくないのにもかかわらず、持たずに済んだのだったら持たずに済ませたかった、というのがいまだに拭いきれないにんげんなので。
私はともかく、パソコンを必要としない人、必要としてもシゴトに必要なだけの検索と通信のみの人、がどれだけいるか。
それ以前に、パソコン初期費用、接続費用、保守費用に、何より貴重な時間というもの。新聞を広げること、テレビをつけること、チラシを受け取ることより、パソコンを立ち上げるほうが習慣的に簡単な人のほうが少なかろう。それこそ私のイメージだけか。
あてにならない検索。なかなか目的の場所にたどり着けない。気に要らなけりゃ凍っちゃう。そんな持ち主、バカ、と言われりゃそれまでよ。
双方向というには一方的なメディアだ。
そんなことは、殊に広告を収入源とするメディアとしては最低限の「感覚」ではないのか。広告媒体は情報対象を掴んでいなければ意味が薄い。マイノリティーを忘れませんよというスタンスを建前だけでも提示しているメディアならば尚更だろう。
数年前、説明責任を果たしています、情報公開しています、ホームページに記載してるのを見ないやつが悪いんだもん、という公的立場の人々もしくは機関の言に妙にむかっ腹が立ったものですが、今や世の中はそんなことを言う必要もないネット社会な顔をしています。
5年前と5年後の例えばミクシィ状況は大きく変わっていましょうが、一般的ネット事情はそんなに変わらないと思うのです。
【またまた追記】
朝日の記事、ネットって、ケータイも含んでいたのか、確認してません。 (..;)
でも、ケータイだって、いや応なくアンケートが掲示されるのでなければ参加しないでしょうし、もしそれをやっていたら記事のような齟齬は生じないでしょうね。「いや応なく」というのは、私はケータイネット利用は今のところ乗換案内だけなので。