いつ戻っても、やっぱりねというところ。

2016-12-17 05:41:43 | memo。



あの地下鉄の終着駅は川を渡ったところにあったはずだ、と思いついたが、その線に接続するラインが想起できない。人が並ぶ先に駅がある箇所を何度か素通りする。皆腹が減っているらしく、私が垂らしそうになるモチを指でこそげとろうとする通行人がいる。川に橋がない。財布には千円ほどしかない。東京である。川は緑の土手で、時に見下ろせる街の道路は、膝までの長靴で歩く人も見える程度の冠水。

景色を画して、表現しづらい半空間に寝るような座位の私はフトコロに煙草を一本見つける。あったのか、と。火をつけて喫う。川を渡ってどこかに帰ったときまた喫い続けるような、いやそんなことはないというような感覚が微かに瞬くが、既に私は野を歩いている。いつも私を見下ろすように接する女性に優しくされる断片。




男への思いが過去になったことを確認するのが、夢に出てきた という記憶。だとむかし書いた気がしてブログ内検索すると、要らぬ記事が並ぶ。


ひとつきもたっていない。まだ現在だ。
ストレスフリー。
じんせいストレスではなくてね。うそみたいだ。
すんごい喫煙ストレスがあったんだね、きっと。


コメント
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