週刊現代5/2・9号 p.173に、安藤和津さんが「母の介護をしながらつくづく、命が途絶えることだけが死なのではなく、それまで積み上げてきた日常が送れなくなった時点で、ある意味、人間としての死だと捉えるようになりました。自分が思うように生きられないなら、肉体は生きていてもそれは心の死だと思うんです」と話した とある。
配偶者に先立たれてから子供をあてにしないという記事の中であり、安藤さんが「捉える」こと、「思う」ことである。多分にあなたもワタシモそう「思う」。思うことは勝手である。
「生きていても心の死」
認知症といま呼ばれているひとたちの「症状」を、自閉性知的障害者(正規名称ではありませんよくわかっていない証拠です)のその障害とされる「様子」とおなじものだとワタシは同時に思う。
「自分が思うように生きられないなら」
彼らは自分が思うように生きている。
あなたやワタシニわからなくても。