もはや、人間の苦悩や孤独感を救うことができるのは人間でなく、AI(人工知能)になってしまったのか?
ホアキン・フェニックス演じる主人公セオドアは、長年連れ添った妻と別れ、孤独な傷心生活を送っていた。そんな主人公の心の慰めとなったのが、人工知能の女・サマンサ。コンピューターや携帯から連日届く彼女の声に、主人公はどんどん引き付けられ、恋が芽生えてしまう。
ごちゃごちゃ、屁理屈をこねなければ、この作品は人間の男と人工知能女性の立派なラブストーリーである。
しかし、本当にラブストーリーだけですますことができるのであろうか?
試写を見終わった後、私は複雑な気持ちになった。
帰宅するために、日比谷線に乗ると、主人公セオドアと同じようにスマホの操作をしている乗客ばかりであった。人のことは言えない。この私もしっかり、スマホでメールや着信のチェックをしている。
車内の乗客は私含め、ほとんどの人が今見たばかりの主人公「セオドア」だらけだった。
こんな光景は少なくとも、10年前にはなかった。
夕刻の車内では、サラリーマンは「日刊ゲンダイ」や「夕刊フジ」を読み、若い人はウォークマンで音楽を聴き、後の人は寝てるかボーっとしているかだった。
その光景が懐かしいとは思えないが、今や人間は新しい機械を産み出し、それに耽溺して、それを無くしては生きていけなくなってしまった。
人間の孤独感は、本来人間同士で癒したり、心を埋めてやるべきなのに、その役割を機械が果たしてしまうまで進歩してしまった。
これはある意味では実に怖い映画なのである。
こんな時代がやってくるのは目前であるからこそ、なおさら怖い。
そんな警鐘を鳴らしていたのがスタンリー・キューブリック監督の傑作『2001年宇宙の旅』であった。キューブリック監督は、未来はコンピューターが人間を支配すると今から50年前に予告した。未来の宇宙船と人間を支配したのが、コンピューター「ハル」であった。
『her 世界でひとつの彼女』を見た後、私は『2001年宇宙の旅』を思い出していた。
6月28日から公開
【監督】スパイク・ジョーンズ
【出演】フォアキンン・フェニックス エイミー・アダムス スカーレット・ヨハンソン(人工知能の声)