マリリンの映画日記

エッセイスト瀧澤陽子の映画ブログです!新作映画からオールドムービーまで幅広く綴っております。

『Dr.パルナサスの鏡』

2009年12月18日 | 映画
 28歳で夭折した個性派俳優ヒース・レジャーの遺作である。

 『ダークナイト』でアカデミー賞助演男優賞に輝いたが、彼の本当の遺作が、このテリー・ギリアム監督の『Dr.パルナサスの鏡』だった。

 私はかなり前からこの作品に注目し、首を長くして公開を待っていた。ヒース・レジャー亡き後、誰がヒースの役を演じるのかと、一時は完成が危ぶまれていたが、撮影途中のヒースの出演部分をジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが代役してくれたことによって無事完成となった。

 テリー・ギリアム監督作品を理解するのは難解なことである。『未来世紀ブラジル』『12モンキーズ』などなど。

 異次元にいる人々、それはもしかしたら人々ではなく、宇宙的空間に浮遊する一種の生物体を描いているからだと思う。

 テリー・ギリアムの作品は理解してはいけない。あくまでも味わうことなのである。味わうことで、自分の内なる想像力がかき立てられ、感性が熟成され、自分自身もまた、宇宙空間に浮遊する生物に一体化できるからだ。

 観念的な言い方をすれば、想像力は宇宙よりも偉大ということだろうか。

 『Dr.パルナサスの鏡』はロンドンが舞台。パルナサス博士(クリストファー・プラマー)が座長を務める旅芸人の一座の物語である。旅芸人の話だから、芝居が出てくると思うだろうが、この一座の十八番は博士が作った「鏡」をくぐり抜けることによって、観客が異次元の世界を彷徨うというサーカス団と魔術団を足して2で割ったみたいな幻想的劇場である。

 鏡をくくり抜けた世界に待っているものは、己の欲望、野心、ロマンチシズム、憧憬、妄想などが剥き出しになり、現実には起こりえない内面を「鏡」の中で具現化させる。

 ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」やマルセル・カルネ監督『天井桟敷の人々』を彷彿とさせた。

 シュールであり、魅惑的なロマンチシズムに溢れた映像。

 ヒース・レジャーの圧倒的な存在感と、代役を受け継いだジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの三つ巴に変化する役柄の異様さを鮮明にリリーフさせている。

 さすがテリー・ギリアム監督だ。

 この作品を味わうことによって、いつの間にか私自身に内面に潜む、ありったけの想像力が爆裂し、鏡の世界をくぐり抜けて来た心地よい疲労感に酔いしれていた。

 2010年1月公開

監督・脚本: テリー・ギリアム
出演:
ヒース・レジャー
ジョニー・デップ
コリン・ファレル
ジュード・ロウ
クリストファー・プラマー
リリー・コール
トム・ウェイツ
ヴァーン・トロイヤー
アンドリュー・ガーフィールド

『おとうと』

2009年12月05日 | 映画
 山田洋次監督の『キネマの天地』(1986年)とアルフレッド・ヒッチコック監督の『泥棒成金』の映画解説をした。『キネマの天地』は松竹映画が蒲田撮影所から大船撮影所に変わるまでの映画に関わる人々の姿をユーモアを交え、当時の松竹映画を鮮明に映し出していた。

 『泥棒成金』の主役はグレース・ケリーとケイリー・グランド。貴婦人女優グレース・ケリー生誕80年を記念して、お客様に見ていただいた。この作品については後日記述する。


 『キネマの天地』の主役は渥美清。「フーテンの寅さんシリーズ」の渥美清が唯一寅さんから離れて、女優を目指す娘の頑固な父親を演じていた。しかし、渥美清は何を演じても、イコール寅さんになってしまうのだから、渥美清自身は多分、複雑な心境だったに違いない。いずれにしても、この作品は日本の映画界の世相、風俗、歴史が上手く描かれている。「活動バカ」への強烈なオマージュと愛情が注がれ、私は映画を愛する山田洋次監督の最高傑作だと思っていた。

 ところが、である。

 山田洋次監督の最新作の『おとうと』の試写を見て、そのランクが変わってしまった。

 『キネマの天地』をはるかに超え、未だにその物語の素晴らしさの中に浮遊しており、2ヶ月前から『おとうと』の感動が覚めやらないのだ。
 
 この幸田文原作の作品は1960年に、すでに市川昆監督が撮っている。姉役は岸恵子、弟役は川口浩だった。

 今回の山田洋次監督の『おとうと』にも「幸田文に捧ぐ」とあった。未亡人になり女手一つで娘を育てた母親に吉永小百合、その弟で大阪でプー太郎をやっているどうしょうもないハンパもんの弟役をこなしているのが笑福亭鶴瓶 。

 吉永小百合、姑役の加藤治子の演技も素晴らしかったが、今回の鶴瓶の演技はオスカーもんである。鶴瓶の最近の作品では『ディアー・ドクター』があるが、あの免許のない憎めない医者の演技もオスカーもんであった。

 演技とは、俳優や役者がマニュアル通りの芝居の訓練を受けてきて、それを基本にどうアレンジしても濾過しても、もうそれだけでは、見る側に感動を与えることができなくなったということだろうか。

 演技は与えられた役を演じる俳優の人生観やその生い立ちによって、まるでジャズの音楽みたいにアドリブで繋がり、縦横無尽に変化していく。その変化こそが俳優の生業なのだ。落語家、お笑い芸人という異色のポジションにいながら、鶴瓶の演技は大御所の俳優陣を差し置き、群を抜いていた。まさにダメ弟役の魂に取り憑かれたような迫真の演技だった。きっと、鶴瓶さんの家族や親戚に、役作りにインスパイアされた、必ず一家に一人はいるというやっかもんの存在がいたのかもしれない。

 ただ、ここで演じる鶴瓶にも「フーテンの寅さん」の匂いがしてくる。山田洋次監督は何を撮っても、「フーテンの寅さん的という、一家には一人はいるであろう市井の落ちこぼれ人間」への、迷惑をかけられながらも捨てて置けない家族たちの細やかな愛情と優しさを正直に描くことのできる天才なのかもしれない。

 理屈抜きに、本来日本映画はこうあるべきである。

 私はこの作品を見終えた後、日本人である自分が誇らしくさえ思えてきたのだ。

 来年の1月公開だが、今年の私の邦画ベストテワンになってくれた最高傑作だ!

 そして、老若男女問わず、必ずこの作品を見た人なら、私と同じ感想を持ってくれると信じている。

 
おとうと公式サイト


1月30日、全国公開

監督・脚本: 山田洋次

出演

吉永小百合
笑福亭鶴瓶
蒼井優
加瀬亮
小林稔侍
加藤治子