『ビリギャル』がずっと気になっていたので、公開がかなりたってから、昨日、やっと見た。
偏差値30の金髪ギャルが慶応大学に現役で合格したという、サクセスストーリーに魅力を感じていた。坪田信貴の原作本はどこの本屋さんでも山積みだったので、たくさんの読者の心をつかんでいるのではないかとも思ったからだ。
しかし、「いい本」が「いい映画」になるとは限らない。
今回は「いい本」が「いい映画」になった稀有な例かもしれない。
無気力で人生に見切りをつけいた女子高校生・さえこ(有村架純)の存在は、物語の主人公として君臨するには、生い立ちが弱い。家庭環境に不幸なものがあまり見えない。唯一、父親が暴君で、長男だけに愛情を注いでいる点だけがネックだが、こんな親父はどこにでも転がっている。父親は単に自分の叶えられなかったプロ野球選手の夢を息子に託しているだけの話しである。
その不足分を埋めるように母親の子供への愛情は深い。
子供のころからイジメを受け、父親の愛情を受けられなかったので、拗ねて無気力になってしまった少女なら、これもどこにでもいる。
しかし、これこそが今の日本が抱える子供の最大の苦悩であることも、まごうことなき事実なのだろう。この子供たちに、もっと不幸な子供がいるのだと、説得したところで、何の解決にもならない。
だからこそ、ニュートラルな家庭環境にある子供の不安や不満、孤独感が新鮮に映し出されているのだ。
失望と行き場を失った人間の苦しさや孤独感は、それぞれ温度差はあっても、それに打ち勝つ姿は変わらないのだということを『ビリギャル』はたくましく訴えてくれる。
誰にでも可能性があるのだと、力づけてくれる。
映画の登場人物が最終章で全てが「いい人間」になっている点には、騙されつつも、騙されたままでいたいと思わせる優しさ。
とりわけ、ビリギャルを演じた有村架純の偏差値が上がるたびに、表情をキリッと変えていく演技の細かさにびっくりだった。
(公開中)
【監督】土井裕泰
【出演】有村架純 伊藤淳史 野村周平 吉田羊