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松前町郷土資料館
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松花堂昭乗書状
(寛永十五年)十二月六日付、松前公廣宛。松前藩2代藩主・松前公廣に宛てた手紙で菓子や昆布を贈られた際の礼状。
内容は、佐川田昌俊が病になったが無事である事を知らせている。ただし本復ではないため、山家にひきこもり養生するとある。
昌俊は寛永15年(1638)に一休寺の傍らに庵「不二山黙々寺」を建て隠居しており、この手紙の内容と一致する。
また二日、三日に里村玄的・淀屋个庵と連歌会を興行したことを知らせ三つ物を載せている。
松前公廣の関心が和歌・連歌にあった事から、関連する事柄を知らせたと思われる。
公廣の祖父で初代藩主・松前慶広は天正18年(1590)上洛の折に里村紹巴に師事し連歌の研鑽に努め、慶長9年(1604)伏見での連歌会に参加し紹巴の長子・里村玄仍と連歌を巻いている。
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古筆切 花山院忠長筆(左)
『新古今和歌集』に所載の紫式部「めぐりあひて」歌を書したもの。
忠長は「猪熊事件」により蝦夷地に配流となった人物。
忠長を厚く遇した事で松前家と京の公家との間に接点が生まれ、京文化が松前に入る契機となったとされる。
短冊 松前矩廣筆(右)
松前矩廣は松前藩5代藩主で、松前藩主として最長の56年間の在位を誇る。
絵や和歌、書など多彩な作品を残しており、松前城資料館にも矩廣筆の「鶏図」がありました。
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甲冑1
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甲冑2
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微塵塗大小拵
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求福山山車 胴幕
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駕籠
僧侶か身分の高い侍の使用したもの。龍雲院寄贈
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陣羽織
松前藩家臣 駒木根家着用
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砲弾
箱館戦争時の物で町内の各所から発見されている。
まさか松前で松花堂の書状を見れるとは思いませんでした。