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2408 長浜城歴史博物館 北政所と秀吉


豊臣秀吉公像

て事で今回は長浜

長浜城歴史博物館

北政所400年遠忌 特別展「北政所と秀吉 ゆかりの地・高台寺の美と文化」
期間:8月3日(土)~9月16日(月)

浅野長政消息
(慶長14年(1609))五月三日付、かうさうす(孝蔵主)・御きやくしん宛。秀吉の正室・北政所の侍女宛になっているが、北政所への披露状の形式をとっている。
慶長13年(1608)北政所の兄・木下家定が亡くなり、その遺領である備中足守を徳川家康は家定の嫡男・勝俊と弟の利房に分割相続させようとしたが、北政所が遺領を勝俊にすべて与えるよう望んだ。
長政はその取次を務めていたようで、本書では徳川秀忠は勝俊の相続を承諾し、大御所(家康)もその事を認めていたとある。
しかし家康の承諾は結局得られていなかったようで、勝俊への相続を認められず全所領は没収されることとなった。
木下利房所用 縹糸下散紅素懸威具足
圓徳院に伝来する甲冑で、兜は日根野形鉢に金の大釘の前立が付く。
木下利房は北政所の兄・木下家定の次男。関ケ原の戦いでは西軍についたため所領を没収されている。
父・家定の遺領問題では、当初兄の勝俊との分割相続となっていたものの、結局相続は叶わなかった。
その後大坂の陣の功績により備中足守藩主となった。
静形薙刀 無銘
高台寺伝来で木下勝俊所用と伝わり、南北朝期の作とみられている。
高台寺には他に勝俊所用の巴形長刀が伝わる。
木下長嘯子消息
極月七日付、高台寺宛。高台寺で催された雅会にて秀吉と北政所の遺像(肖像画)を拝した際に詠んだ和歌を記している。
「なき影に又袖ぬれてつかへけん 昔を今の賤のをた巻」在りし日の秀吉・北政所を偲ぶ内容となっている。
木下長嘯子(勝俊)にとって北政所は父の遺領問題の際には自分に肩入れしてくれた存在であり、所領が没収された後は高台院が開いた高台寺の近くに隠棲した事からもその存在の大きさがうかがえる。
唐木杖
高台寺蔵の杖で、秀吉所用と伝わる。唐木は熱帯産の硬質木材で本体と持ち手部分を象牙で繋いでいる。
箱書きによれば、正親町天皇より秀吉が賜った事が記されている。
竹生島奉加帳
竹生島の堂社復興のために、秀吉や家族等が寄進した金品を記録した奉加帳。
大部分が秀吉が長浜城主であった天正4年(1576)から6年(1578)のもので、冒頭には秀吉による百石の寄進が大書され、続いて北政所、大政所が名を連ねる。
他には北政所の伯父・杉原家次や浅野長政、宮部継潤、蜂須賀正勝(の妻)、小堀遠州の父・小堀正次、山内一豊、竹中半兵衛の名も見える。
長浜城主時代の秀吉の家族や家臣団を知ることのできる貴重な史料となっています。

太閤井戸

今年は北政所400年遠忌ということで各種イベントが行われており、こちらもその1つ。
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