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1706 最上義光歴史館 鐵[kurogane]の美2017

013
やって来ました山形!
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山形城
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最上義光騎馬像

ってことで今回は
028
最上義光歴史館
032-1
企画展示「鐵[kurogane]の美2017」 ~武士[mononofu]と日本刀~  
期間:4月5日(水)~7月19日(水)

短刀 銘 則国
刃長24.8cm。鎌倉時代、京都粟田口派の刀工・則国の作
元和元年(1615)黒田忠之が京都で徳川家康・秀忠に調馬を披露し拝領した。
太刀 銘 出羽国酒田住兼高作/八幡宮奉納源家親
刃長101.2cm。桃山時代、出羽酒田の刀工・兼高の作
最上義光の次男で第二代山形藩主最上家親が元和2年(1616)山形の六椹八幡宮に奉納した。
最上家親は翌年36歳で急死している。
太刀 銘 備□長船盛重 (号 吉野川)
刃長66cm。南北朝時代、備前長船の刀工・盛重の作。
賤ヶ岳の七本槍のひとり平野長泰所持。
刀 無銘 元重
刃長71.6cm。鎌倉時代、備前長船の刀工・元重の作。
鞘に「坂本龍馬所持」とあり、陸軍中将松永正敏が龍馬の縁者より譲り受けたとされる。
刀 朱銘 来国次
刃長63.1cm。鎌倉時代、鎌倉の刀工・来国次の作。
最上義光の子・山野辺光茂(義忠)所持。
二代藩主最上家親が急死し嫡男家信(義俊)が継ぐが、幼少であり凡庸であったとされ、実力者であった光茂に支持が集まり家中は二分された(最上騒動)。結局山形藩は改易処分となり、山野辺光茂は岡山藩預かりとなったが、寛永10年(1633年)に赦免され水戸藩家老となっている。後に徳川光圀(水戸黄門)の教育係も務めている。

以下常設展示より
脇指 銘 備前國住長船祐定作 天文六年八月日
刃長50.4cm。室町時代、備前長船の刀工・祐定の作
鞘書より最上義光が主催者となり富士山大護摩修業(密教の儀式)を催した折に義光の護摩刀としてこの刀を頂いたとされる。
最上義光等連歌巻(賦何墻連歌)
慶長三年(1598)卯月十九日に京で催された連歌会で里村玄仍直筆とされる。最上義光は里村紹巴、昌叱、玄仍といった里村一門や京の商人灰屋紹由、最上家家臣堀喜吽が同座している。
最上義光は連歌を好んだようで、同時代の武将が参加した連歌巻では細川幽斎・前田玄以に次ぐ数を残している。
伊達政宗書状
(天正十三年)閏八月廿七日、最上義光宛。この時政宗は大内定綱の支城小手森城を攻め落城させている。軍勢500人を討ち取り更に女子供に犬までも撫で斬りにしたと記し、須賀川まで討って出て関東を手中にすることなど容易だと大言を吐いている。

久々の最上義光歴史館。義光の兜や鉄の指揮棒なども懐かしく拝見しました。
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