今回も東京
センチュリーミュージアム
書状-人と書とその時代-
期間:1月7日(月)~3月30日(土)
消息 千利休筆
三月十八日付、川端道喜宛。利休が道喜に貸していた「橋立の壺」を「せん元」に受け取りに遣わせた事、昨日贈られた餅が忘れがたい味であった事などを記す。
「橋立の壺」は足利義政遺愛の品と伝わる名品で、秀吉より所望されても利休は手放さなかった。
明智光秀書状
(天正7年)九月廿一日付、威徳院宛。織田信長の下知をうけた光秀が、丹後攻略の出陣に際し愛宕山の威徳院に先勝祈願を依頼したもの。
本能寺の変の三年前にあたる。
書状 本阿弥光甫筆
九月十一日付、斎藤又二郎宛。又二郎の依頼により「弘長の刀」の鑑定の所見を述べている。光甫はこれを「古き関」の刀と極め「金一枚と五両」と評価している。
本阿弥光甫は光悦の孫にあたる。空中斎と号し家業の刀剣の磨研・浄拭・鑑定のかたわら作陶・書画に才能を発揮した。
他に藤原定家書状・三条西実隆書状・一休宗純書状などを拝見しました。
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