SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

23GW 萩城下巡11 平安古へ



旧萩藩校明倫館・南門
藩校明倫館の遺構で、新明倫館の正門として建てられた。

今回はここから平安古方面へ

三矢の訓像
萩市民館の前にある像で、萩城を築いた毛利輝元の祖父・元就が、三人の息子(隆元、元春、隆景)にあてた教訓状をもとに作られた説話より制作された。

久坂玄瑞進撃像
尊皇攘夷の先頭に立つ若き玄瑞の立像。
久坂玄瑞は高杉晋作と共に松下村塾の双璧と称され、尊皇攘夷派を牽引して国事に奔走し、禁門の変(蛤御門の変)にて25歳の生涯を閉じた。

山県有朋銅像
高杉晋作率いる奇兵隊の軍監となり頭角をあらわし、維新後は、明治政府の陸軍の基礎作りに尽力。のちに陸軍大将さらに内閣総理大臣となった。

久坂玄瑞誕生地
玄瑞は平安古の八軒長屋で生まれた。

久坂玄瑞の追憶碑、左側には事蹟碑、さらに右側には歌碑がある。

旧児玉家庭園(平安古かいまがり交流館)
この地は幕末には児玉三郎右衛門の屋敷にあたる。児玉家は、萩藩の寄組で、当時は現在の平安古鍵曲の方を正面とする広大な屋敷地を構えていた。

庭園
橋本川から水を引き入れる水路と、笠山石の護岸と舟付場が設けられた池がある。
このような庭園は、舟入式池泉庭園と呼ばれている。

平安古 鍵曲
左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋。

そしてゴールの

旧田中別邸
第26代内閣総理大臣をつとめた田中義一の別邸。

五松閣
別邸は平屋部、茶室部、五松閣からなり、五松閣は2階建ての建築。

「五松閣」額 毛利元昭書

五松閣の床
床脇と付書院が備わる。

五松閣の裏の部屋の床。落掛の竹の曲がりも凄いですが、床柱の存在感よ。

茶室
内部は四畳半。他の部屋の異なり床はいたって普通。

船着き場
橋本川から邸へ入る事が出来る。

次回も萩。ラストです。
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