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常念寺表門
四脚門で寺伝によれば、もと京都聚楽第にあった裏門とされ、これを豊臣秀吉から毛利輝元がもらい受けて伏見の自邸に移建。のちに萩城内に移し、さらに寛永10年(1633)常念寺に寄進、移築したといわれている。
ここからは武家屋敷エリア
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旧益田家物見矢倉
矢倉とは武器を収納する倉の事で、見張り台も兼ねていた事からこの名が付く。
益田家は永代家老を務めた萩藩の重臣。幕末の当主である親施は、禁門の変の責任者として切腹させられている。
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旧繁沢家長屋門
繁沢家は、阿川毛利家(初代は吉川元春の二男・元氏)の分家で萩藩寄組(1094石余)であった。
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旧周布家長屋門
周布家は萩藩大組士筆頭で、萩藩永代家老益田家の庶流。1,530石余りを領した。
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旧毛利家別邸表門
明治時代の建築で、萩藩14代藩主・毛利元徳が鎌倉の材木座に建てた表門。大正10(1921)年、別邸とともに毛利家萩別邸として市内東田町に移築され、昭和49(1974)年現在地に移された。
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旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
厚狭毛利家は、毛利元就の5男・元秋を祖とする。厚狭に8371石余りの知行地を与えられたことから、このように呼称された。
主屋などは明治維新後に解体され、安政3年(1856)に建てられたこの長屋のみが残っている。
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長屋内部
5つに区画されている。この日は大茶会と同時にあった生け花展がありました。
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旧福原家萩屋敷門
萩藩永代家老・福原家(11,314石余り)の萩屋敷の門で朱色なのが珍しい。
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旧児玉家長屋門
萩藩寄組に属し2243石余の大身武士であった児玉家の門。
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旧祖式家長屋
萩藩大組(770石)祖式家の長屋。
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旧二宮家長屋門
二宮家は、萩藩大組891石余を領した。
藩政初期の当主・二宮太郎右衛門就辰は、萩築城時の普請奉行として活躍。
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堀内 鍵曲
左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手に曲げた独特な道筋。別名「追廻し筋」とも呼ばれる。
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口羽家表門
表門は延宝3(1675)年、江戸藩邸の門を拝領したと伝わるが、建築手法からは18世紀後半のものと考えられている。
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口羽家住宅
口羽家は毛利氏の庶流。永代家老に次ぐ寄組として1018石を領した。
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座敷
八畳
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馬印
口羽家家紋「三つ輪違い」をかたどっている。
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座敷前庭
庭自体は小規模ですが、橋本川や対岸の玉江の風景が眺められる。
以上で萩巡りは終了です。
楽しく城下町を散策することが出来ました。
大茶会メインだったので、次回はフリーで、今回訪れていないところも巡りたいです。
必ず次も行きたい場所となりました。