山紫水明處
頼山陽が文政11年(1828)、自宅の水西荘の庭に建てた離れで、書斎兼茶室(煎茶室)。
頼山陽は、安永9年(1781)大坂生まれ。『日本外史』の著者として知られる。
天保3年(1832年)にここ山紫水明處にて死去。
建物西側の庭園
降り井
地面から2mほど下に井筒が設けられた半地下式の井戸
蹲踞
山紫水明處
※内部撮影はOKでしたが掲載は不可
葛屋葺の屋根
内部は四畳半で、西面に踏込床と床脇があり床脇は三段に分かれ上部は天袋、真ん中に出窓、下部に網代戸があり、さらに奥に板戸がある(画像中央)。
下部の開閉によって降り井周辺の景色を楽しんだり、風量の調整や給仕口としての機能も持ち合わせている。
江戸後期より続く煎茶室の遺構として大変貴重なところでした。
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