備中松山城から下山後に向かったのが
頼久寺
こちらには小堀遠州作とされる庭園があります
遠州と頼久寺の関わりは遠州の父・正次が備中国奉行として松山に赴いた事がはじまり。
2人はこの頼久寺を仮の居館として政務を執っていたそうで、庭園はその時作庭されたそう。
頼久寺庭園
蓬莱式枯山水庭園です。
遠州作とされる庭園は色々な場所にありますが、確かなものは少なくこの庭園も明確な記録は存在しないそうです。
次は武家屋敷へ
旧折井家
母屋
資料館
こちらには甲冑など武家に関する資料が展示されています
次は
旧埴原家
座敷
次の間
遠州作とされる庭園を拝見出来ました。全国には一体どれだけの遠州作の庭園があるのか気になります。
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