京都は東山
西行庵
かつて西行が庵を結んだとされる場所。
ここに母屋とともに草庵茶室があります。
皆如庵
内部は点前座1畳・客座3畳よりなる4畳の茶室。伝えでは宇喜多秀家の息女が久我家へ輿入れの際に持参したもの。
入口は貴人口と躙口が並んだ珍しい形式。
他にも変わった点があるので資料写真より紹介。
床は室床になっており、正面に円窓をあける。
点前座は道安囲。西翁院淀看席の点前座と同じ意匠である。
さてこの茶室の伝来には面白い異説が存在する。
それはこの茶室の造ったのがキリシタン大名・高山右近だったというもの。これは宇喜多秀家の子孫に伝わるものだそうで、右近が棄教をせず大名の身分を剥奪された後に、前田利家に招かれた加賀の地に建てた茶室がこの皆如庵だったというもの。
右近は幕府によるキリシタン追放令によって国外に退去するのだが、その際に利家の娘で宇喜多秀家の正室であった豪姫にこの茶室を託します。その理由は豪姫もまたキリシタンだった為というもの。
やがて秀家と豪姫の孫である梅子が久我家へ輿入れの際に持参したのだそう。
織田有楽は高山右近の茶の湯を「清めの病」があると評しています。それは右近がキリシタンであった事と無関係ではないでしょう。そしてこの皆如庵が右近の茶室であったとすれば、その意匠の数々もまた影響を受けているのではないでしょうか。
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