東海道新幹線で東京へ、さらに東北新幹線で八戸またまた乗り継ぎ最初の目的地へ特急で移動します。
が、ここで列車が停止。どうやら目的地より先で雨のため不通となった影響らしい。待つ事30分でなんとか運転再開しましたが滞在時間が減ってしまいました。
弘前城
津軽氏の居城。天守・三基の櫓・5つの門が現存しており城郭の保存状態もいい。石垣が用いられているのは本丸周辺だけで他は土塁造りとなっており、これはこれで味がある。
弘前城天守
十二ある現存天守のひとつ。もともと弘前城には5層の天守があったが落雷がもとで焼失し長い間天守の無い城だったが19世紀初頭に辰巳櫓を改修して現在の天守が造られた。外側からは破風を設けた派手な城に見えるが内側には窓があるだけのシンプルなものとなっている。内部はちょっとした展示がある。階段も急ではなく登りやすい。
旧弘前市立図書館
弘前城を出ると追手門広場がありそこには旧弘前市立図書館が建っている。八角形の塔を左右に配した木造三階建て。赤いドーム状の屋根が印象的で非常にチャーミングです。
次の目的地へ向う為に駅へ戻ります。しかし次に行くところは不通だった区間。少々不安でしたが乗る予定だった普通列車はなんとか運行するとの事、特急は取り止めなのでラッキーでした。遅れながらも次の目的地である大館に到着。
真田左衛門佐幸村之墓
大館にある一心院。その隣の墓地の中に真田幸村のお墓があります。いや~これだけの為に大館に寄るってどうなのよ、と思いましたが行きたいものは行きたい。たとえそれが伝説でも幸村の墓を見逃すなんて出来ましぇん!
てことで1日目はこれで終了。
2日目、次の目的地へ移動します。
久保田城
久保田藩初代藩主佐竹義宣の築城。御隅櫓や表門が再建されている。御隅櫓は資料館となっている。
佐竹史料館
「特別展 藩祖義宣とその時代展」
玄関入ってすぐ目についたのは
佐竹義重所用 黒塗紺糸威具足
義宣の父。鬼義重と呼ばれ恐れられた。
前立は毛虫形で次代義宣の兜にも受け継がれている。更に脇立に鳥毛をなびかせている。
さて最初の展示室に入ると中央に長大な御旗が飾られていた。紺地に白で佐竹の紋「五本骨扇に月丸」を9つ描いている。もちろん甲冑も展示してある。
佐竹義宣所用 伊予札黒韋素懸威二枚胴具足
前立はもちろん毛虫だがかなり小さめ。今回展示されている甲冑姿の義宣肖像画に描かれているのは多分この具足なのでしょう。
次の展示室に入る、ここが特別展の展示室。二代目藩主義隆や佐竹家臣渋江政光、「佐竹の黄鬼」梅津憲忠等の甲冑や刀等が展示、そして最後は、
佐竹義宣所用 人色皮包仏胴黒糸威具足
前立はもちろん毛虫(熊毛)。胴は肌色で弾痕有。
義宣の代に佐竹氏は常陸から出羽に転封となった。関ヶ原の戦では中立的立場をとったものの西軍より(三成より)であった事と所領である常陸が徳川領に隣接していた事が理由であろう。
歴代藩主や家臣の数多くの遺品を見れて満足。次の場所亀田へ。
妙慶寺
ここは真田幸村の娘である御田姫(顕性院)のお墓があります。
御田姫はこの地出羽亀田藩主岩城宣隆(佐竹義宣の弟)の室となり、妙慶寺を建立しました。
亀田城(陣屋)
出羽亀田藩岩城家の城。江戸期の長くは無城格であったが幕末に城主格となります。現在この場所は美術館になっており私が訪れた時には赤羽刀の展示が行われていた。
次は鶴岡。
致道博物館
鶴岡市にある博物館。近隣の歴史的建造物を移築しており写真はその一つ旧西田川郡役所。
御隠殿
ここもそのひとつ庄内藩主酒井家の御殿。現在は酒井家に伝わる武具や調度品などを展示している。
酒井忠次所用 朱塗黒糸威二枚胴具足
忠次は徳川四天王の一人。鎧は朱塗で兜の脇立は金箔の鹿角でなかなか立派である。
酒井家次所用 朱塗色々威二枚胴具足
忠次の子。この具足は威の糸が傷んでいたため最近修繕されたばかり。さらに初代庄内藩主で家次の子忠勝の甲冑も展示されており三代揃踏みで展示されていた。
鶴ケ岡城
庄内藩酒井家の居城。土塁を多用しているのは先の2城と同じ。現在は鶴岡公園となっている。写真はその一角にある荘内神社。
致道館
庄内藩の藩校。致道博物館の名はここから採られている。
さてさて東北行その1は終了。その2に続く。
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