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水無瀬神宮
後鳥羽天皇が離宮水無瀬殿を営んだ地で、後鳥羽上皇が隠岐に流されてからは水無瀬家が御影堂を建立し上皇を祀った。
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客殿
豊臣秀吉の寄進により建立。普請奉行は福島正則と伝える。
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石川五右衛門の手形
神門にあり、伝えでは「文禄年間に石川五右衛門が神宝の大刀を盗まんと数日間忍びうかがいしも神威にうたれ、足一歩も門内に入れず、この門柱に手形を残して立ち去った。」
さて本題。こちらには後水尾院より下賜されたと伝えられる茶室があります。
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燈心亭
外観は茅葺寄棟造で田舎家風の姿で、内部は三畳台目の席と勝手、水屋からなり三方を畳敷きの入側をめぐらせる。公家好みの書院風茶室となっている。
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三畳台目の席
床は蹴込床、床脇には違棚と二段の天袋がある。
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茶道口と給仕口を直角に配し、出隅に赤松の皮付丸太、わずかな板壁を隔てて茶道口には竹の方立、給仕口には梅の変木を枠として用いる。松竹梅の素材を取り合わせる遊び心は貴族的。
また腰障子の腰板には籐の水引飾りが付けられているが、これは修学院離宮にある後水尾院筆の扁額にも用いられた後水尾院好みの意匠で、ここからも後水尾院下賜の伝承を裏付けているようだ。
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天井
吹寄挌天井で、挌間に葭・萩・山吹・柿・蕨・桐など11種におよぶ素材を使い変化に富んだ模様を形作る。
「燈心亭」の名称も天井の素材が灯芯に使われるものが多く含まれるところから付けられている。
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勝手
点前座の背後に当たる位置に仮置棚が設けられている。上段には長短4枚の棚板が取り付けられているが、その構成は修学院離宮の霞棚の簡素版ともいえる。
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入側の畳縁
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北側は土間庇となっている。
後鳥羽院は和歌に優れ菊御作といった作刀にも力を入れていた。
宗祇・牡丹花肖柏・宗長が水無瀬三吟百韻連歌を納め、それに茶室「燈心亭」の茶の湯。
まさにこの場所は文化の集積地ともいえる所。