鶴岡八幡宮
康平六年(1063)、源頼義が信仰していた石清水八幡宮を鶴岡若宮として勧請したのが始まり。
その後、源氏を復興した源頼朝が鎌倉幕府の宗社として整備を進めた。
舞殿
静御前が源義経を慕い舞った若宮廻廊跡に建つ。
建保七年(1219)1月27日、源頼家の子・公暁が階段脇に生えていた大銀杏の木に隠れて待ち伏せ、三代将軍・源実朝を殺害。公暁自身も直後に討ち取られた。
これにより源氏直系の血統は断絶した。
その大銀杏は2010年に強風により倒れた。
根元の部分は移植され、元の根の部分から新芽が生え育っています。
楼門
八幡宮の額は、寛永六年(1629)曼殊院入道二品親王良恕の書。
本宮
文政11年(1828)に徳川家斉が再建した。
鶴岡八幡宮は源氏のみならず広く武家の信仰を受けたところとして知られています。
次回も鶴岡八幡宮から
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