SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1107 佐賀 

今回は佐賀。


佐賀城 鯱の門

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明治七年の佐賀の乱での弾痕が今も残っています。

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佐賀城本丸歴史館
企画展 「佐賀鍋島藩の誕生」
期間:7月22日(金) ~8月31日(水)
「佐賀鍋島藩や支藩の伝来品などを展示し、佐賀藩成立の歴史を紹介します。」

龍造寺隆信 肖像画
数ある肖像画の中でも先行する作品と考えられており、「大肥満の大将」とも呼ばれるデップリとした容姿で描かれている。
龍造寺隆信遺言状
1580年頃に書かれたとされている。三男で後藤家の養子となった家信に宛てたもので、自分の死後は鍋島飛騨守(直茂)に相談せよと書かれている。隆信は1584年島津氏との島原沖田畷の戦いで戦死している。
鍋島勝茂 肖像画
他の勝茂肖像画より表情が若い時代のもの。
虎皮鞍覆
佐賀藩の支藩である鹿島鍋島家の伝来品。本来は将軍一族や有力大名だけに使用が許されたものだが、徳川秀忠に仕え「忠」の字を与えられるほど遇された初代である鍋島忠茂の功績により特別に使用を許可されたとされる。

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徴古館
旧佐賀藩主・侯爵鍋島家伝来の歴史資料・美術工芸品を展示する博物館

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佐賀城築城400年記念「鍋島直茂・勝茂の時代」
期間:5月30日(月)~7月30日(土)

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龍造寺隆信所用 刀 銘・末貞
肥前の刀工である二代末貞の作であるが元は長巻で、後に刀に作り直されたものだそう。
鍋島勝茂所用 青漆塗萌黄威二枚胴具足
桃形兜に鍋島家の家紋である杏葉紋の前立。青漆と萌黄糸の取り合わせが控えめながら美しい。
勝茂が島原の乱で着用したと伝えられている。
この具足は勝茂から末男の直長に譲られ、その子孫である村田鍋島家に伝来。その為他の具足が佐賀の乱で失われたなかで現在残る唯一の佐賀藩主所用具足となっている。
成富茂安所用 錆色塗紺糸威仏二枚胴具足
兜は桃形兜で鹿角と蔦紋の前立が付く(後補)。加藤清正より与えられ文禄・慶長の役に着用したと伝わる。更には加藤清正が毛利攻めで着用したと伝わるが時代が下る物であるらしい。
成富茂安は龍造寺家臣から鍋島家の家臣へ。戦で数々の戦功を上げる一方で水利治水事業でも功績がある。
加藤清正書状
加藤清正が歳暮として成富茂安に小袖を贈った際の書状。清正は茂安に毎年歳暮の贈り物をしていた。
清正は茂安を1万石で召抱えようとしたが「たとえ肥後一国を賜るとも応じがたく候」と断った逸話がある。

佐賀城築城400年記念にあわせて上記2館や県立博物館で佐賀城や鍋島家に関する展示が展開されています。
が、ど~も地味ってか同じように築城○○○年を展開してるところに比べてもやり方が下手なイメージが・・・
何か大きめのイベントが一つあれば色々と周ると思いました。
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