ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

まっしろな静けさ

2008-11-14 09:52:47 | Weblog
忙しさの1秒前という今日

明日から、奉仕活動→親戚の法事、例会、
お供えのお団子づくり、掃除、と連日続いて
19日~21日まで、お寺の報恩講法要です

みんなで集う時間が、大切であるのと同時に
わたしは、ひとりの静寂も好み。


いま聞こえるのは、鳥の鳴き声と、暖房の動く音。
なんとも、心安らぐひと時です。

何がなくても、いいなと思える。


いろんなことをあれこれ思ったりするけれど
本当のところ、物事は。いたってシンプルなんだと思う。

コーヒー&こたつ。


あちこちの本屋をまわっても、置いていない
『新潮12月号』『納棺夫日記』『ばかもの』

を読みたい気持ちが、ますます募る。注文するかな。

きのうは頭痛がひどくて、早めに眠った
いま、くたばってはいられない。
きのう撮った「紅葉」の写真、近くアップしますね
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雑草も小石も

2008-11-13 16:55:50 | Weblog
本を読んでいると

文章が塊で、そこだけ浮かび上がってくる瞬間がある。

暗闇で輝く、一筋の光。


きのうの晩は、空という天井に
まるで電気がついているかの如く。

思わず空をあおいだ。

そうか。あおぐときっていうのは
無意識に、あおいでしまうものなんだ


『・・・「雑草が、小石までが光って見えるのです」っていうのは、
生と死が限りなく近づいた時、或いは、
生きていながら死を全身で受け入れようとした時、
「生死一如」と申しますか、そんな眼に見える風景っていうのは
あらゆるものが差別なく光って見える世界、そんな世界ではないか、
こういうふうに私は思うようになっていくわけです。』

「出会い・出逢い・出遇い」(自照社出版)
の中で、青木新門さんが著されたものの一部を抜粋。


光に出遇うことで、雑草も小石も輝いて見える。

どんな日も。光はたらく夜なんだなぁ・・・。
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おくりびと

2008-11-13 08:05:04 | Weblog
きのう。映画『おくりびと』を観て来た。
琴線に触れるとは、こういう事だった・・・と思い出す

今年のナンバー1どころか、確実に殿堂入りだろう

若院も私も、大の映画好きで。
過去から現在まで、かなりの数の映画を観てきたけれど。

こんな映画があったなんて・・・。すご過ぎる。


第32回モントリオール国際映画祭で、グランプリを受賞したとか。
まったくもって、うなずける

世界で理解される。国境を越えて、
同じ「人間」という土台の上で、通用する作品だと思う。


これを観ずに、死ななくて良かったなぁ、、。


映画を観て思うことが、あまりにたくさんあったので。
帰りの車で、延々と若院と語り合う。


まず、共通して。わたし達は納棺士ではないけれど、

人が亡くなる「ご縁」に携わる宗教者として
いかに重責を担っているかを、感じさせられた。


あとは。寺で生まれ育って、そういった環境に身を置く
わたし達と、世間の皆さんとの感覚の違いを知らされた。


これは、どちらが良いとか悪いとかの話ではなく。


身内であろうと他人であろうと
「死」―それも、目の前で心をえぐられるような―

を実際に体感しない限り
「命」に対する宗教的感覚が、なくて当然なんだなという・・・。


だからこそ、そこに携わっていく者として
どうあるべきなのか、、、をすごく考えさせられた訳です。

死とか宗教とか、忌み嫌われたりもするけれど。
本当は言葉で表せないほど、大切だったりする。

命を授かって必死に生きてきた人間が、
最期に嫌われてゆくなんて、悲しすぎることだし。

命を終えてゆく人から、わが身の命を知らされるものだし。


若院は言う「ただ寄り添うだけなら、誰でもできる。家族だって。
そこに宗教者が寄り添う意味というのは?寄り添い方とは??」

わたしも同感。これは永遠のテーマであります。


他にも、個人的に、細かな部分まで、
「命」について、いろいろ考えさせられました。


どんな生き方をした人間も、最期はみんな同じだなとか。


ちっとも説教臭くなくて、サラリとした映画なんだけれど。
むしろ、すごいものを扱っているのに面白い

山崎努さん、素晴らしくいい味です。

若院と二人して、カッコ良すぎるよぉ
と、しばらくの間、ぎゃあぎゃあ興奮していました。笑。


家に帰って、しんたいさん、から聞く。
「おくりびと」の原作は、青木新門さんというお念仏者なんだけれど
考え方の違いで、著作権を放棄されたとか何とか。

なるほど・・・そうだったのか・・・。
特定の宗教色が、出ていない映画だったけれど。

妙に通ずるところがあったのは、その為か

若院の忙しい合間をぬって、無理して観に行って良かった


日常に思い悩まれる皆さんも、楽しく過ごしておられる皆さんも
よかったら是非に・・・

追伸:写真は、道中寄った「キララ多岐」の海です。

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食いしん坊のひとり言

2008-11-12 12:10:16 | Weblog
きょうは早朝より、奉仕活動でお寺の掃除をしつつ。

わたしは、お花を立てたりも。

ハサミを入れる時。ここを切ったら、
どうなるかな・・・ と考える。

えい、と切って。うまくいけば嬉しくて
想像と違って「しまった!切らない方が良かった、、」とか。

そんなひと時も、また面白い


先日。お母さんと一緒に、報恩講(お寺の法座・行事のひとつ)
準備の、買い出しに出かけた 

そのとき、お魚センターにも寄って。
ぼら貝・イカ・ウニ(なんと2段で千円)・アジやらを調達
お母さんから、いただいた!!

やっぱり市場のお魚は、新鮮で安くて美味しい!!
お陰様でここ数日、豪勢な食卓を囲んだ


ウニご飯、ぼら貝&きゅうりの和え物。

里芋とイカの煮物、アジの塩焼き。


きのう。イカを生まれて初めて、さばいた。
きゃぁ~と胴体に手を入れて、足を引っこ抜く。


・・・目玉はわかるけど、クチバシってどれだろう??
とりあえず、かたい部分と、ドロッとしたものを取っておいた。


水できれいに洗う。ふぅむ、、思ったよりも大丈夫だったな。
ふつうの魚の、目や口、内臓なんかの方が苦手かもな、、


イカも生き物だから、そんなこと言ったら悲しむかな、、。

新しい事に挑戦して、さぞかし脳も喜んだだろうな、、。


あれこれと、勝手なことを思ったりする。
がんばった煮物は、上手にできた


わたしの生まれ育った実家、岐阜には海がない。
お嫁に来て、魚の美味しさに驚いた!!

・・・アジって、こんなに美味しいの??と。

アジに、ものすごく油がのっている。めちゃくちゃ美味しい

島根では「のどぐろ」という、珍しい美味な魚があったり。


・・・きょうのブログのテーマは何だ??

ま、いっか。そろそろお腹がすいてきたなぁ
ご飯も炊けたし、味噌汁のだしの準備もOK!!
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願われ、願う仏となる

2008-11-10 22:52:44 | Weblog
きょうの朝、長文ブログを書いたものの
投稿ボタンを押すと同時に、きれいに消えてしまった、、

パソコン前に座るのが、おっくうでした・・・。笑。
思い出して書くかな。ちょっとくらい覚えているかな、、



10月末、法事で母&弟と再会して、また別れた。

無事に島根から岐阜へ、帰宅した弟がメールをくれた。

きのう眠っていたら。そのとき弟がくれたメールが
もくもくと、頭の中に浮かんできた・・・。


「・・・二人して法事楽しかったね、仏教って素晴らしいね、
オネエと別れるのはやっぱり淋しいね、って泣きながら帰ってきたわ~」


世の女性の多くは、また養子入りされる男性は
生まれ育った家庭から、新しい家庭へと、その歩みを進める


結婚して約1年半。わたしは今になって
自分の幸せだけを求めて生きる「わが姿」を知る。



浄土真宗のみ教えの素晴らしさは、とても語り尽くせないけれど。


ただ願われ、ただいただき、ただおまかせして
仏様とならせていただくこと。

仏様となった後は、あらゆる命の救済に走り回ること。


もうこれは本当に、想像も及ばないほど、すごい事なんだと思う。


自分の幸せだけを追い求めていても、悩み苦しむ私達。
そんな私達が、あるがままに包み込まれる。

自分の幸せだけを追い求めてしか、生きられない者が
いつか、あらゆる命を願う仏様へとならせていただく。


「お念仏」との出遇い。

願うことができない「わたし」が

「願いの連鎖」の中に「いま、生かされている」ということ


前住職が命を終えるときに、遺された言葉。

「わしゃ、浄土に生まれたら、もっともっと忙しくなるのぅ、、」
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赤い木

2008-11-09 10:42:00 | Weblog
下記ブログに書いた「お茶」の後。
車で近所の温泉まで、出かけてきました・・・

色とりどりの、山の木々に
心和んだことであります・・・

温泉地の駐車場にも、真っ赤な木がありました。
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気づきの中に

2008-11-09 09:51:14 | Weblog
その昔。子どもの頃。いろんな人に尋ねていた。
「しあわせって何・・・?」

おばあちゃんは、ポツリと言った。
「気づくこと。築くことじゃないよ。」

「・・・ふぅん。」
なんだか、わかったような、わからないようなまま
時は過ぎて行った。


先日、視覚障害の方が聴かれる本を読む
朗読奉仕の研修に行ったとき。

日本語の美しさを、先生が教えて下さった。

山わらう・・・・・春
山したたる・・・夏
山よそう・・・・・秋
山ねむる・・・・冬

季語の表現力の豊かさに、胸が熱くなった。


それをきっかけに、日本の美に興味をもつ。2冊の本を読んだ。


『俳句脳―発想、ひらめき、美意識』
(茂木健一郎さん・黛まどかさん著 角川oneテーマ21)

『日日是好日(にちにちこれこうじつ)』
~お茶が教えてくれた15のしあわせ~(森下典子さん著・新潮文庫)


森下さんの本は、たまたま本屋で見つけた。
とにかく良さそうな匂いがした。


家に帰ってから。まえがきや、あとがきをパラパラ眺めていたら
柳家小三治さんが、解説を書いておられるので驚いた

NHK『プロフェッショナル』の100人目で観た方だった


この本はやわらかく、読みやすく、一瞬で読み終えた。
感動・共感した箇所がいっぱいあった。


「生き方」の本だった。


これから読まれる方がおられたら、嬉しくないと思うけれど、、。
一箇所だけ抜粋させて下さい


『目を覚ましなさい。人間はどんな日だって楽しむことができる。
そして人間は、そのことに気づく絶好のチャンスの中で生きている。』


影響を受けやすい私、、。きのうお参りから帰った若院と、
お互いの「お薄」を入れてみた。

お茶を習ったことはなくて、
お煎茶のお稽古も、続かなくなってしまった私なんだけれど


写真は、若院が入れてくれたお茶です


不思議なことに、いつも同じだと思っていた
「時間と空間」が、愛しいものに思えた。

やわらかい空気。


気づくということは、その瞬間に心が留まることなのかな?
心が留まるのは、なんだか、とてもあたたかいものだな。

・・・おばあちゃんが言っていたのは、もしかして??
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ロウソクの火

2008-11-08 08:45:15 | Weblog
みんなよく知る、ジャーナリストが亡くなった。

その記事をネットで読みながら、ある先生の言葉を思い出す


『よくガンが原因で亡くなりましたって言うけど、そうじゃなくて。
死ぬ原因は、生まれてきたということ。ガンは縁でしかない。

死なない為には、どうしたら良いか。生まれてこなければいいという事。

火のついたロウソクが消えるのは、ロウソクに火がつけられたから。』



わたし達はみんな、火のついたロウソクなんだなぁ、、。


そんな事は意識せずに、日々を過ごしているし
そんな事を考えるのは、とても恐怖だったりするけれど


自分がロウソクであることを知らずに


人生を本当の意味で味わうこともなく、むなしく終えてしまうこと・・・

・・・それこそ、いちばんの恐怖ではと思う。


「訃報」は、可哀相な他人事じゃない。


消えてゆくロウソクの1本1本が、教えてくれる。

消えてゆくロウソクの1本1本が、わが身である。
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偉人は泳ぐ

2008-11-06 12:19:39 | Weblog
脱力系・ぐうたら、を経て、やっとの復活を果たす
思い出したように、稲城選恵著『無量寿経』を手に取る
ふむふむ・・・と読む内に、

何かと何かが、繋がった。

きのう、オバマは勝利宣言で
リンカーンの言葉「国民の 国民による 国民のための~」を用いた。

われらが師匠、親鸞聖人も
七高僧の教えを受け継がれ、真宗の教義を顕彰されている。

やっぱり、そうなんだよなぁ・・・


「自分」という存在を、確実に超越したところで生きている。


まさに、偉人たる所以が、そこにある様に思う。


人間は自我が強くて、どちらかと言うと
なんでも、自分の「手がら」にしたがる生き物なのに。

もっと、広い世界で生きている。


過去から受け継がれて来た、
大先輩方の、エッセンスを集める。


その思想を紡いでいったところに、何かが生まれる


オリジナリティを謳いたがる現代だけれど、
いや待てよ、、それは一過性の、ひとりよがりなものではないか??


自身を厳しく問うてみること。
先人の生き様や思想を、見つめていくこと。

そこにしか「何ものか」は存在しないのかもしれない。


親鸞聖人は、浄土真宗を開きますとは
ひと言も言われていない。

そればかりか、自らを「愚禿」と呼ばれた。


オリジナリティを、叫ばずとも
わたし達は、いま、ここに生かされている。

それが、そのまま、その意を成すのではないだろうか。

自分を通り超えた、遥か遠く宇宙で、偉人は泳いでいる
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歴史が変わる日

2008-11-05 09:04:56 | Weblog
オバマ大統領、誕生間近だという。

その昔、わたしは伝記『リンカーン』を読むのが
好きだった。なんとも言えない、力強さに震った。

それと同時に、椅子に座ったまま
ガンと、銃で撃たれた彼。胸が痛んだのを覚えている。

リンカーンの精神が、ここにまだ生きている

平等は平等でも『あらゆる命の平等』に向けて
負けじと歩むオバマに、エールを送りたい

そして、何より。
オバマの命が守られることを、心から願っている・・・。
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