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レストラン艸葉


13年ぶりに思い出のレストランに行きました。
当時は大阪支店が堺筋本町にあり、クリエイティブ部門も同居していました。
今は他界されたその時のボス(クリエイティブ部長)が大好きで「また行っちゃった♪」と言いながら
笑顔でお昼から戻ってくる姿を思い出します。

私も給料日とか「チョット今日は..」って時によく行きました。
その後..大阪支店は関西支店として移転し、クリエイティブ部門も同じく移転したので
ご無沙汰していたのですが、頭の片隅から消えた事がありませんでした。

その後..色々な「トンカツ屋さん」や「洋食屋さん」でトンカツを食べたのですが
艸葉の事が忘れられないでいました。

最近..関西のレストランを紹介する雑誌に「艸葉」が掲載されて我慢ができなくなりました...w

行ってきました想い出の場所...
マスターと昔の話を少しだけ..
もちろん多くのお客さんがこれまで来られて来たので
覚えていらっしゃいませんが..懐かしいひと時...


いやぁ...涙がでるくらいに懐かしく..美味しかった..

とっても柔らかくジューシーなお肉..
ちょうどいい絶妙な衣..
出しゃばらないのに深みのある美味しいデミソース..
素揚げのポテト...リンゴとタマネギのマカロニサラダ..

ローストンカツ 1,050円はたぶん値段はそのままだと思います..
今度はハンバーグステーキを食べに行くんです♪



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真田庵 善名称院(ぜんみょうしょういん)


蓮華定院から車で約1時間...
県指定文化財 真田屋敷跡に行きました。

慶長5年の関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れた真田昌幸・信繁父子
女人禁制の高野山に配流の身となった。その時に妻はここ九度山に移され蟄居生活を送りました。
その後一族は九度山のこの地を出て立ち、大阪城に入城、大阪冬の陣、夏の陣に参加します。

創設は寛保元年..六文銭の紋が刻まれた門をくぐると、
八つ棟造りの重厚な三層城閣風の本堂が正面に..軒の瓦には菊花の紋章が入っています。

真田のぬけ穴は、真田庵から東方約200mぐらいの所にあります..ちょっと迷います。
昔から地元の人々には「真田のぬけ穴」と言い伝えられこの地点から真田庵までを
真田氏の造ったぬけ穴と信じてきました。
しかし1953(昭和28)年、発掘調査が行われ、古墳時代後期(4世紀ごろ)につくられた
横穴式石室をもった円墳であることがわかりました。残念...w
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蓮華定院(れんげじょういん)


高野山にある蓮華定院に行きました。
その名を真田坊...
真田昌幸と幸村の父子が九度山に移る前に暮らしていた所です。
この蓮華定院には..幸村の兄・真田信幸のお墓があります。
今は宿坊であり..精進料理や、写経などを体験できます。
あちらこちらに「六文銭」...

関ヶ原の戦いで昌幸と幸村は西軍につき、東軍の徳川秀忠軍を上田城にて迎え撃つ、
この結果、徳川秀忠軍は関ヶ原の戦いに間に合わず家康は激怒したそいです。
西軍についた真田昌幸と幸村は本来なら切腹でしたが徳川についた兄・真田信幸の
おかげで高野山に蟄居を命ぜられ蓮華定院に仮寓し九度山に妻子を置きました。
当時の高野山は女人禁制のため間もなく麗の九度山に敷地を与えられ
移り住むこととなりました(九度山・真田屋敷)

にぎわう高野山の端で静かなたたずまい..修行中のお坊さんももの静かで優しいです。



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