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『本能寺の変四二七年目の真実』読者書評


ネットで「本能寺の変四二七年目の真実」の著者 明智憲三郎さんのblogを見つけました。
なんとその中の『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評という記事に
「synkan regbi」の文字が..(汗)
「本能寺の変四二七年目の真実」で検索すると立派な書評が列ぶ中..
恐縮でございます。
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ダンベル 6kg


何年もベランダに放置していたダンベルをリペイント
マーカータイプのペイントですが..結構綺麗に仕上がりました。

6kgが2つ..
捨てる事もできないで忘れていたのですが..

運動不足の解消に役立てようと思案中...


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柴田 淳 「コンビニ」


一つの恋を終わらせて..新しい愛を見つけた女性..

新しい生活..そして今の彼は「安らぎ」をあたえてくれる

でもスローな曲に含まれる気持ちは反対

心が揺れて..今でも忘れられない彼..

そんな気持ちが「じわ~」っと染み出てくる切ない曲です。


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勝竜寺城


光秀モードに入ってしまい山崎に行きたくなりました。

色々予定もあって..午後のゆっくりした時間から向かいました。

午後5時までの「大山崎町歴史資料館」に少し焦りながら到着

その後「勝竜寺城」へ

山崎の戦いでは、わずか二時間で総崩れとなった明智軍

光秀は戦線後方の勝竜寺城に退却を余儀なくされる

その後..兵の脱走が相次ぎ、光秀は勝竜寺城を密かに脱出して居城坂本城をめざした

その脱出した北門を見ると、夕方でもあったので..惨敗という空気が今も残っている気がしました。



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人材


人材の材は「材料」ではありません。
材料は「予測範囲の価値」ですが
人の能力は無限です。

人財

こう表現するべき

最近は人を財産と考えないでコストだと考える殿様が多いです。





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hoechstmass ネックホルダー


支給された社員証のネック部分が切れてしまい
色々探してたどり着きました。

と言いながら..もう1年以上愛用していますけれど..

創業は1895年で100年以上の歴史を持つドイツの巻き尺専門メーカーhoechstmass(ヘキトマス)社。
精度の高さと使いやすいメジャーは様々な分野で広く利用されています。


シャッと引き出して「ピッ!」真ん中のボタンを押すとシュルシュルっとストラップを収納。

カラフルな5色の展開ですが紐が青でないといけないので(社員証は青/訪問証は赤)
このタイプになりました。


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本能寺の変 四二七年目の真実


明智憲三郎 プレジデント社
      
歴史をひっくり返した「本能寺の変」を果しながら、その直後の秀吉との山崎合戦に破れた光秀
その後の明智残党狩りの手を逃れた光秀の子 於寉丸(おづるまる)の血筋を引く著者が
今日まで、多くの人々が信じている明智光秀の謀反の動機とされる「個人的恨み」と
「天下取りの野望」という歴史に当時の史料の記述から事実を丁寧に読み取り、
それらを積み重ねて本能寺の変の「真実」を推論しています。

秀吉が「本能寺の変」の四ヶ月後に書かせた『惟任退治記』と言う事件の報告書に
真っ向から挑む内容です。先祖の汚名をはらし「明智光秀は悪くない」と言っている本ではなくて
「誤った歴史を書き変えること」としている納得のいく内容だと思います。

明智憲三郎氏から友人知人に宛てた文をネットに見つけました。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
これまでの誤った歴史を書き変えることが子孫としての私の使命だと思い立ちました。
四百年にも渡って、世の中の隅々にまで浸透してしまった通説を覆すのは容易なことではありません。
そこで、私はどなたにでも納得していただけるように、かつ興味を持って読んでいただけるように
「歴史推理ドキュメト」という形の本にまとめ上げて、世の中に広くご理解を得ることにしました。
そして、執筆を始めて三年。ようやく出版に至った次第です。
これまでの通説にとらわれることなく、虚心坦懐に読んでいただければ幸いです。
そして、誤った歴史を書き変えるという、おそらく「叶わぬ夢」かとは思いますが、
これからの活動にご支援をいただければと思います。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

読んでもらって「なるほど~」と思って欲しいので、内容を書きませんが
読み始めて止まらない内容です。

「本能寺の変」には、誰も明確に答えられない謎がありました。
●謀反の動機は?
●なぜ信長はあれほど無警戒で本能寺にいたのか?
●なぜ光秀は本能寺の変を成功させ得たか?
●秀吉の中国大返しが成功した理由は?

第1章 誰の手で史実は歪められたか
第2章 通説とは異なる光秀の前半生
第3章 作られた信長と光秀の不仲説
第4章 土岐氏再興の悲願
第5章 信長が着手した大改革
第6章 盟友・長宗我部の危機
第7章 衝撃の「家康潰し」計画
第8章 二つの企て
第9章 信長が導いた謀反同盟
第10章 家康の謎の策動
第11章 手際がよすぎる秀吉の「中国大返し」
第12章 光秀の苦悩、そして滅亡
第13章 フロイス証言の真偽
第14章 家康が遺した暗示
土岐一族の思い──エピローグ

章タイトルを読むだけで読みたくなりますね..w

これ以外にも

●安土城に火をつけたのはだれか?
●どうして江戸城の門に半蔵門とついたか?
●どうして徳川三代将軍の名前が「家光」か?そして乳母「春日局」の存在..
●どうして東照宮から中禅寺湖に向かういろは坂を上る地が「明智平」というのか?



「う~んなるほど~」と..うなる内容が満載です。


★★★




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「翁飴」


新潟県の銘菓「翁飴」

会社でいただきました。

飴とありますが「ゼリー状のモッチリしたお餅」の印象..

家伝の水飴に寒天を加えて,四角いゼリー状に固めた昔からの越後の代表銘菓..

砂糖を使わない自然の甘み..

歴代高田城主に珍重されたこのお菓子..

グミと似ていますが尖った甘さのない上品で淡い甘さ..

(^人^)
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水木しげる妖怪図鑑


兵庫県立美術館で開催中...
土曜日は午後8時までなのでゆっくり観れるかなと思い..夕方から行きました。

昔..小学校の時に、通っていた歯医者さんの待合室にコミックがあって
歯医者の恐怖と漫画の恐怖と効きすぎるクーラー(エアコンじゃなく)に
震えたものでした。

原画ですがいわゆる漫画なので版下です。切ったり..貼ったり..塗り足したり..修正したり..
逆に迫力がありました。

昔に読んで怖かった「吸血鬼エリート」の事を思い出して..(;^_^A

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珈集


三木城から神戸に帰る途中にある珈琲店

地元では有名らしいです。

ナビ検索で「目的地周辺です」と終了されましたが..そこは空き地..???

しかたがないので電話でたずねました。

電話に出たスタッフの方に親切丁寧に教えていただき無事に到着

午後3時..お昼ご飯がまだでした..

アイスコーヒーとカツサンドを注文

「おまたせしました..」「ド~ン!」スゴイ!

なんだこの肉厚..

ソースはデミソース..

美味しいです..(感動)

アイスコーヒーも美味しかったです♪

「さきほどお電話いただいたお客様ですか?」などと笑顔でたずねられ

スタッフの方も好印象です。

(^人^)



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三木城


1578年から約2年間の織田氏と別所氏との合戦 三木合戦(みきがっせん)
織田家の武将羽柴秀吉(豊臣秀吉)が行った播州征伐のうちの1つ
別所氏は播磨国の三木城(兵庫県三木市)に篭城。この合戦で秀吉が行った兵糧攻めは、
三木の干殺し(みきのひごろし、-ほしごろし)と呼ばれる過酷な戦法。


ここに立っていると見晴らしがよく..そして静かで..
今は..城をイメージするものはほとんどなくて..
享年23歳の別所長治公の石像
そして戦とは真逆の保育所が静かにあります。

今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば

長治公辞世の歌碑




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伽耶院(がやいん)


明石城から三木城に向かう途中に国指定重要文化財の「伽耶院」に立ち寄りました。
本尊は毘沙門天。山伏の寺として知られています。

羽柴秀吉の三木城攻めにおいて、当山に別所長治方の陣が置かれたことによる兵火と
1609年の失火により、城塞のような石垣を残して全山を焼失。
今の堂塔は1610年以降の寄進によるものです。

多宝塔や本堂は国指定重要文化財なのに..立てかけてあるコメントが面白く
なんだか楽しかったです。

紅葉がきれいなんだろうな~という印象でした。


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終わらない夏


今日も空は夏でした..

入道雲は双子でした..

そろそろ秋が恋しいぞ..

さよなら夏の日


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明石城


JR線に乗れば近くに見える..
2号線を西に走ればすぐ脇を通る..
車の免許の試験場も近くにある..

前から行ってみたかったのですけれど..
初めて行ってきました..

中堀の内側は兵庫県立明石公園として整備され、日本さくら名所100選に指定されてます。
でも綺麗に整備された公園だけに終わらない「跡地」と言うパワーを感じます。
特に城の跡は..何かが残っています。

日本の百名城58番築城主は小笠原忠真 築城年1618年(元和4年)
最後の明石城主は松平直致 1874年(明治7年) 廃城令により廃城となる。

国の重要文化財 坤櫓(ひつじさるやぐら)が一般公開中でした(無料)

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