北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

北海道旅行記Ⅳ・石北峠~網走編

2016-04-11 10:04:00 | 旅行
北海道旅行3日目、石北峠の続き。
1981(昭和46)年6月23日火曜日。

石北峠で「じゃがいも焼き」と「割りチョコ」を買う。じゃがいもは大きなのを3つ割りばしに差して焼いてある。歯ごたえがあり、甘くとてもおいしい。本州ではちょっと食べられない味だ。
割りチョコはホワイトチョコで牛乳たっぷりの甘いチョコレートだ。簡易包装で中にいくつもあり、おいしくて300円は安い。

峠を越えると下り坂。風は涼しい。
蛇行しながら段々と下の方に降りて行く。私は地図を見ながら道案内だ。左に見えて来たのが北見富士で1291m。道路は相変わらず空いていて、スイスイと北見方面へ向かっている。
道はやがて石北本線を横切り、「るべしべ」(現在は北見市)の町に入って行く。

北海道の雄大な景色を堪能しているうちに、やがて街並みになったと思ったら北見市である。
そこでは「きたみ東急百貨店」が1982年に開店予定で、建築中であった。
(実はその開店時に後日出席をしたのだが、残念ながら2007年に閉店した)

北見市をあっと言う間に通り過ぎた。端野町に入って大きく右にカーブし、やがて田んぼの中を通って行く。幹線では無くなったのか、車の量がほとんど無く、夕やみ迫っていた。

網走まで40㌔。1時間弱で着く予定。
途中山道から突然下り坂になると目の前には間違いなく、オホーツク海が左手から右手にかけて横たわっていた。
ついに来たのだ。北の果てまで。そう考えると身震いした。
空にはうろこ雲。かすかに見える知床半島。幻想的な夕やみである。

5時40分、双鏡台展望台にて、近くは能取湖、網走湖、遠くはオホーツクを感慨深く眺めた。
車は右に網走湖を見て、6時3分網走市内に入った。あこがれの網走だ。

早速、宿探しで電話帳にて民宿「かもめ荘」と決定。かもめ荘へ直行する。
夕食ではカレイ、イカ刺身が出た。
入浴後、街見学とシャレてみた。

思った程大きな街ではなく、地方都市を感じさせた。
とにかく魚の旨いもの、取り分け毛ガニを食いたい。安くてうまい処は無いか?
タバコ屋のおばあちゃんに聞いてみた。ところが「良く知らない」と言いだし、向かいの鮨屋に行って聞いてくると言いだした。

こうなると鮨屋に入らざるを得ない。しかし若いお兄ちゃんが出てきて「カニならそこの角から二軒目の底曳ですね」と親切に教えてくれた。

底曳では「内地から来て是非毛ガニを食いたい」由を告げると、とびきり新鮮な・・・今朝獲れたもの・・・毛ガニを一匹都合してくれた。水が滴る珍味そのもの。
冷酒で毛ガニを堪能した。

その後であるハプニングが起きたのは。
A君が主人に尺八を聞かせようと言うのである。彼は急いで宿に戻った。
やがて、私の尺八と楽譜を持って来た。

私はお得意の「春の海」と「仁義」を演奏した。座敷にいた地元の三人のおじさん連中も一緒で喜んでくれた。すると主人が珍しいものを持って来た。
「うちこ」である。どろっとして紫色で、これが何とタラバガ二の受精したばかりの卵とかで、見た目には紫色だから変な感じがしたが、味は最高の珍味であった。

言い忘れたが、お通しにウニが出た。生ウニで水分があり、柔くトロッとして美味。
さらなるものは「めふん」・・・サケの背中のちあい(神経)・・・これは塩辛みたいにぬるっとして黒ずんでいた。

それに鮭の頭・・・「氷頭」(ひず)・・・酢付けにしたものが出た。珍味、これ又珍味づくしで、冷酒も6合位飲んだらしい。すっかりごちそうになって底曳を出たのだが、又又、先程の鮨屋「福尚」(ふくひさ)に寄らなくてはなるまい。刺身が食べたい。

ガラッと開けると今さっき案内をしてくれた若いお兄さんが「いらっしゃい」「やっぱり来たよ。さっきはありがとう」今度はチーフが「どこへいらしたんですか?」「底曳です」と言う訳で、底曳で出なかった物をもらう事にした。

福尚ではルイベ(紅鮭)、イカの沖漬・・・生きたイカを油漬けにしたもの、タラバ蟹の肉の厚い部分、ボタンエビ、北寄貝、エバラ貝、クジラのスネ肉といった具合で、全てが初めてと言う位珍しい食い物であった。
酒はもう入らなかったが、彼は日本酒をやっていた。
いい気分になって、静かな北国の街を歩き宿に戻った。

早速、明日の打ち合わせ。彼はどこまで来てくれるのか未だ決めて無く、とにかく明日の夕方6時頃までに旭川に戻れば良いとの事。
明日は先ず、網走市内を見て、お天気次第と言う事で就寝。

北国と言っても6月下旬。お天気が良いので全然寒くは無くカラッとして快適。
網走の夜も寝つき良し。

(網走を今現在検索したところ、かもめ荘と福尚は存在したが、底曳は閉店したようだ)