北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

トロッコの思い出

2016-04-18 11:09:00 | 随想
地震・雷・火事・親父とは昔から言われる怖いものである。

地震は気象庁の無い頃から、一番に怖いものだったのであろう。何しろ未だに日時の予測が出来なく、突然下からドカーンと来るからである。

熊本は、会社退職時に一人旅行をして、熊本城、水前寺公園など感激したものであるが、熊本城がまさか崩れるとは思わなかった。

火事と言えば、歌舞伎町のゴールデン街火事は以前飲んだ近くだし、3月初旬に見学に行ったばかりである。

親父はもう怖くない。オオカミでは無くなった。やさしい。妻に負ける。これは俺だけであろうか。

今なら、地震・原発・テロ・ミサイルなのか。

さて、本題の「トロッコ」である。
「トロッコ」と言えばもう、芥川龍之介の短編小説「トロッコ」である。

小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平が八つの年だった。・・・で始まる。(明治41年12月に開通)

あらすじは・・その工事現場で使う土砂運搬用のトロッコに良平は興味を持っており、ある日、トロッコを運搬している土工と一緒にトロッコを押すことになった。
どんどん進んで遠くまで来てしまったが、途中で土工に遅くなったから帰るように言われて、良平は一人暗い坂道を駆け抜けた。家に駆けこんだ時、泣き出してしまう。
その時のことを、大人になった良平が回想するシーンが、最後に出て来る。

この題材はジャーナリスト力石平三の実体験の潤色らしい。

この「トロッコ」を題材に尺八家の堀井小二郎が朗読と邦楽器のコラボレーションの作曲をした。(堀井小二郎は福沢諭吉の孫だった)
言わば交響的物語「ピーターと狼」みたいな作曲だ。

私が大学3年の時だった。ラジオでこの曲を聴いて演奏会でする積りだった。
堀井小二郎宅は大田区池上にあり、一人で出かけた。

7孔尺八演奏家でもあり、尺八曲も何曲か作曲していた。
頼み込んで「トロッコ」と尺八二重奏曲「流転」などの楽譜をいただいた。

この「トロッコ」を2年生にやらせたが、少し難しかったかも知れない。
すっかり忘れていたが、46年振りに楽譜が見つかった。
それによると楽器編成は、尺八4本、箏3面、十七絃、打楽器として、鉄琴、やすり、ギロだった。

鉄琴、やすり、ギロは堀井先生からお借りした。これは土木作業の工事現場の音としての効果音である。
なかなか考えたものである。

先ず、箏のトリルで始まり、尺八がメロディーで加わる。そして尺八のカデンツァもある曲調から、工事を思わせる打楽器が入ってやっと朗読の「小田原熱海間に」と始まる。
トロッコに乗って走るシーンは箏の「シューシュー」の技法で段々早くして行くところは、本当に走って行く感じが上手く表現されていた。

多分、私が指揮者をしたと思う。
朗読は男性のイケメンであり、声も透き通ってきれいだった。
あらかじめ楽譜上に、ここから朗読の目安が書いてあったが、実際にはところどころ鉛筆で書き直してあった。放送のテープを参考にしたのか、あるいは独自に考えたかも知れない。

小説の最後の大人になっての回想シーンの朗読は無かったと思う。

さて、実は、私にこのような実体験があったのだ。
まさしく私も同じ思いだった。それは七つの年だった。

正月に父の小学校同級生の新年会が、生まれ在所の信州時又の割烹「油屋」であった。
時又は当時竜丘村で今は飯田市。「油屋」は今でも存在するらしい。

私の実家は旧飯田市内で、飯田駅から電車で時又駅まで約20分位で着いた。
途中、酒屋に行き父は酒を買い、その時にお年玉として、小さな徳利を貰った。

これを私にくれると言われて、嬉しくてたまらなく自宅に帰っても「僕のだ」と言い張って大事にしていた。それで酒を飲んだ事は無い。
大学生になって帰飯した時にもあり、懐かしかった。

父の実家がある竜丘村長野原までは、時又駅から田んぼや坂道、藪の中を登って20分位かかった。先ず、私を親類に預けるのである。親類には一歳上のいとこがいた。
そこで、かるたなど遊んだと思う。
しかし、帰る時は一人である。その時までは何も考えてもいなかった。

夕方、別れを告げて「時又」の駅に向かったところちょうど、結婚の行列に出くわした。
そのお嫁さんに見とれてしばらく見ていた。時計など持ち合わせてはいない。
おばさんはちょうど良い時間に送り出してくれたはずだ。

お嫁さんを見終わって、「時又駅」に着いた時はもう電車は出発してしまった。
飯田線は本数が少ない。路頭に迷って、少し引き返してはみたものの、途中まで戻っても仕方がない。
行き場所に困って一人寂しさを覚えた。山の中の夕暮れは早い。

次の電車に乗り、悔しさと反省もしただろう。悲しさを電車の中で窓際に立って、ひたすらこらえていた。

自宅に着き、母の顔を見て一気に泣き出した。まさに良平と同じである。