北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

北海道旅行記Ⅶ・ウトロ~阿寒湖編

2016-04-14 11:02:00 | 旅行
1981(昭和56)年6月25日木曜日、北海道旅行5日目のウトロ

午前4時頃、あまりの明るさに起きてしまった。しかし間違いなく4時だった。・・・そうだ知床半島はアメリカに近いのだ。とすると朝日はもうすでに昇っているのか?カーテンもない窓からは太陽が差し込みそうだ。しかしあまりに早いので再び寝た。

ところが6時30分頃ガタガタ音がしだしたと思ったら、ご夫婦家族のお出かけだった。たまたまトイレに行きたかったので部屋の外へ出ると、再び会い阿寒湖で又お目にかかれる様、お互い祈った。

男連れ二人は車で羅臼に抜けるのだと言う。ちょうどその日の午後、長い冬の沈黙を破って道路が開通するのだ。

私は8時15分発の知床半島見学の遊覧船に乗るべく港に急いだ。途中には木彫りのアクセサリー等の土産物屋がたくさん並んでおり、時々小熊が鎖につながれいて道路にチョロチョロ出て来るとビックリする。
小さくても猛獣なのだ。

団体客と一緒に遊覧船に乗り込んだ。1時間30分の硫黄山折り返しだ。
流石、オホーツク海の風は冷たく、薄い長袖を必要とした。

船は左をオホーツク海、知床半島の絶壁を右にして進んで行った。スピーカーからは名調子の解説が流れる。知床半島はなだらかな山々を想像していたが、全く違った荒々しい岩々であった。
下側が流氷に削られて上の方が海に飛び出している様は、ぶきみだ。

あまりにも見事なので船室から甲板に飛び出したが、すでに若い人で満員だった。果てしなく続く岩々は間違いなく巨大なもので、層雲峡と共に北海道のすごさを見せつけてくれた。

知床岬行きの遊覧船は3時間以上かかるので、この硫黄山折り返しで私には十分だった。
スピーカーからは戸川幸夫の秘境知床の名文が流れたり、最後には知床旅情の歌が出たりで郷愁を誘った。9時40分港に着く。

今度は最終目的地の阿寒湖に向かうのだ。
10時15分発のバスに乗り、ウトロをあとにした。斜里駅には1時間で着いた。
斜里駅発の急行は12時47分なので、1時間半の待ち時間がある。そこでどうするか考えるべく駅前の「ちるちるみちる」なる喫茶店へ行って「アイスコーヒー」を注文した。

斜里町はこじんまりとしており、田舎的なたたずまいを見せていたがウエイトレスは中々の可愛子ちゃんであった。この近くで見るべきところはないか、聞いてみたが「判りません」とつれなかった。

ここでしばらく休憩すると12時を回ったので、昼食をとるべく外に出た。
駅に戻る途中に大衆的な店があり、そこで「カニラーメン」を注文した。塩味でラーメンの上にはたっぷりサービス良く、タラバガニが乗っていて美味かった。750円支払い駅に向かった。

急行しれとこ3号で弟子屈(てしかが)に向かう。13時55分に弟子屈着。ここから定期観光バスに乗るのだが、そのバス停に行く為に違うバスに乗って行った。

出発は3時なので1時間のロスがある。やはり一人旅はつらい。車ならロスがないのに。
近くにパチンコ店があったので入ったが、あっと言う間にすってしまい、面白くないので止めた。

阿寒湖まで定観光バスで1時間ちょっと。だんだんと山の中に入って行った。
途中運転手さんが、エゾマツ、トドマツの見分け方をなまり言葉で言い、その見分け方が解らない人はオソマツとシャレが出た。
雄阿寒岳が徐々に大きくなり、双湖台でペンケト-、パンケトーの湖を眺めた。

このペンケトー、パンケトーは元々阿寒湖と続いていたが、雄阿寒岳の噴火により分断されたとの事。静かに山と山との間に横たわっている湖を見て、バスは一路阿寒湖へ向かった。
女性のアナウンステープで阿寒湖を紹介してくれる。

16時10分、阿寒湖のバス停に到着。

続く