Renaissancejapan

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タタ財閥(インド)

2022-09-13 15:46:52 | 国際政治・財閥

日本とインドの経済関係は戦後、何回かの節目があり、いわば消長を繰り返してきました。 最近では1997年頃にインド進出ブームがありました。

もともと独立後のインドと日系企業とのつながりは深く、たとえば、日本の鉄鋼産業は1980年代まで我が国の基幹産業の位置を占め、その技術と生産高で世界をリードしてきました。



その鉄鋼産業にとって、原料となる鉄鉱石の安定的確保が至上命題となります。 日本が高度成長を始める少し前の1955年あたりから、我が国の需要に対応してインド産鉄鉱石の輸入が急増し、その後しばらく原料供給の基地になりました。その任にあたったのが、三井物産、日商岩井、そして後に倒産した大倉商事の三商社でした。

近年では、住友商事、丸紅、三菱商事などが鉄鋼以外のビジネスでも活動していますが、なかでも日商岩井は、前身の鈴木商店の時代から現在まで、70年を超える関係を維持してきました。インドきっての財閥であり、ビッグとして知られたタタ・グループと日商岩井の首脳陣同士が、現在でも密接な関係にあるというのは、こうした歴史的背景があるからです。



周知のようにインドは、複雑で長い歴史と多様な社会をもつだけに、そのビッグ・ファミリーも一様ではありません。 各地の土地柄および宗教性などが複雑に絡み合って、独特のコミュニティあるいはアソシエーション(サンガム=聖地)が形づくられています。

タタの場合、コミュニティはパーシー(パールシー)に属します。パーシーは7世紀末頃、イスラム支配下のペルシャ(現・イラン)からインドのグジャラート方面にたどり着いたゾロアスター(拝火)教徒の人々の子孫であります。 



パーシーという言葉は出身地のパールシー地方から転訛したもので、華僑にたとえれば、客人という意味の「客家(はっか)」に相当するといえます。

インドのパーシー人口は、総人口のわずか1%ほどと言われてますが、ゾロアスター教への侵攻は厚く、かつては結婚もパーシー以外とは認めない傾向がありました。



しかし彼らはカースト制度を持たず、現状肯定的で進取の精神に富み、商人としても優れていました。 また、生活スタイルや服装は欧米風であります。 パーシーには、タタのほかにも有力ファミリーがあり、なかでも化学品、家庭用品、電化製品を得意分野とするゴドレージ財閥一族が有名です。

タタ・グループの事業は、紡績、鉄鋼、機械、エンジニアリングにはじまり、電力、化学、自動車、コンピューター、そして食品、貿易、高級ホテル、病院に至るまで実に幅広く、 現在では主な企業だけでも約80社にのぼり、グループ総売り上げ高は、インドのGDPのおよそ3%に達するといわれています。




インド綿を出発点に事業を拡張

この巨大なグループおよびファミリーの創始者が、ジャムセトジー・N・タタ(1839-1904)であります。 

タタ家はもともと前述のパーシーの中心地ともいうべき、グジャラート州ナヴァサリという町でパーシー教徒の聖職者を辞めて中国との貿易を始めたことをきっかけに、タタ一族はビジネスの世界に入っていきました。



タタは14歳の時にムンバイ(ボンベイ)に出て、1859年にボンベイのエルフィンストン・カレッジを卒業し、29歳の頃に個人の貿易会社を興しました。 

当時はアメリカ南北戦争の影響もあって、世界的な綿不況でしたが、インド綿の輸出などを手がけて財を成し、それを元手に買収した搾油工場を改造して紡績工場としました。 



その後、イギリスに渡りランカシャーの紡績工場を実際に見学して帰国。 1877年に新しい技術を取り入れた綿織物工場、エムプレス・ミル社を、さらに1886年にはボンベイでやはり綿織物工場のスワデッシュ・ミル社を設立しました。  これが今日のインドを代表するタタ財閥の礎になりました。

20世紀に入ると、インドは独立運動が激しくなります。 その民族意識がジャムセトジー・N・タタを動かし1903年には有名なタージ・マハル・ホテルを完成させています。 さらにその動きと連動するように、タタはインド資本による製鉄所の建設に取り組み、1907年、インドでようやく初めての一貫製鉄所となるタタ製鉄所を完成させました。



これは植民地化でのインド工業化の象徴的存在ともなりました。 その後、水力発電所、海運業などにも進出、第一次世界大戦の好景気もあって、セメント、石鹸、建設、航空、銀行・保険などの分野に次々と参入していきました。

尚、当時のタタ産業銀行は後に国の中央銀行へと改組されています。 第二次世界大戦中、タタ・グループは、化学、鉄道車両、トラックなどの自動車部品などへ事業を拡大していきます。


そして今日では、社名を挙げればキリがないほど、多くの企業を傘下に抱かえたコングロマリットへと発展し、さらに最近では、IT化の時代に対応するために情報通信産業を含めてあらゆる分野へ事業展開しています。





ゾロアスターゆえのユニークさ

タタ・グループの場合、インドの他の財閥やビッグ・ファミリーとは異なる特徴をもっています。 それは、先ほどにも触れたように、出自がマイノリティであるゾロアスター教徒であることです。 

周知のように、インドでは一般的にヒンズー教によるもろもろの制約に企業活動が影響されてきました。 タタの場合、ゾロアスター教を信仰していたため、ヒンズー教の影響を受けることなく自由に起業し、企業経営にも様々な試みを自由に取り入れることが出来ました。 それがグループを発展させたという側面があります。



例えば、他のファミリーの総帥は長子相続が一般的ですが、タタの場合、必ずしもそうではありません。傘下企業のトップ経営者にも一族以外のテクノラートを登用してきたことなども発展の要因に挙げられます。

現在のタタ・グループおよび一族を引っ張る総帥は、ラタン・ナバル・タタ(1937-)であります。 1991年に、インド独立前から36年間も同グループをリードし、インド航空業界の父ともいわれた先代のJ・D・タタ(1904-1993)から継いだものです。



彼は、アメリカのコーネル大学で建築学を修め、ハーバード・ビジネススクールで経営学を学んだというエリートで、帰国後は傘下企業の一つタタ・エレクトリック社会長に就任、ここで先端企業の指揮をとるとともに、将来に備えて帝王学を磨きました。

創立から120年近く経つタタ・グループではありますが、その事業が広範囲になるに連れ、いろいろな課題も出てきました。 そこで、ラタン・ナバル・タタは、1997年に経営コンサルタント会社のマッキンゼー社にグループの総点検と、再構築のプランを依頼。 



そのなかで、たとえば人材登用の面(グループの総従業員数は約25万人に及ぶ)で、パーシー教徒に偏っていないかなどチェックし、幹部候補社員には留学制度を充実し、先進国の企業経営を身につけさせるなどの方針を出しました。

また、ビジネス面では輸出に注力していこうという姿勢もうかがえます。 日本の日商岩井を通して、傘下のテルコ製トラックを中南米諸国に輸出しているケースなどはその典型例と言えます。





外資との提携にも積極的

タタ財閥のもう一つの特徴としていえることは、外資との提携事業が多いことであります。日本との関係を見ると、淀川鉄鋼・日商岩井とタタ製鋼が組んで合弁会社を設立したのが1970年のことで、これが本格的な日印合弁事業のはしりとなりました。

以降、日本郵船(船舶代理)、旭硝子(各種板ガラス)、伊藤忠商事(情報関連機器)、ブリジストン(タイヤ)、ファナック(FA機器)などと、傘下のタタ・グループ企業が合弁事業を始めています。




この流れは1990年代に入るとさらに加速し、とくに注目されるのは、日立製作所との関係であります。 1995年に日立製作所と合弁でつくったタタ・ティー社は、60ケ所にも及ぶ農園から産する紅茶、コーヒー、スパイス類を世界中に輸出しています。 

そして1999年からは、日立の関連会社である日立建機がタタの関連会社のテルコ・コンストラクション・イクイップメント(テルコン)社と資本・生産両面で本格的な提携関係に入っています。



最近では、ソフトウェア株式会社タタ・コンサルタンシー・サービス社が、三菱商事のITサービス子会社アイ・ティ・フロンティア(ITF)社と提携しています。 

三菱商事との関係関係でいうと、総帥のラタン・N・タタが2001年に設置された三菱商事の国際諮問委員会に外国人メンバー6人の中の1人に選ばれ、その密接な関係が注目されました。

 

ラタンの考え方として伝えられているのは、「技術・生産・製品で外資と組む場合は、いずれもトップ企業をその相手とする」というものであります。

したがって、提携する外資は日系企業に限らない。タタの一流好みは、たとえば1996年から、ダイムラー・クライスラー(ドイツ・アメリカ)と合弁で高級乗用車の生産に入っていることにも表れています。また、ソフトウェアではIBM(アメリカ)と組み、工業団地建設ではシンガポール・エアラインと組みなど、他の事業にも同様の傾向が見て取れます。





ライバルとも提携して新分野に挑戦

タタと並ぶインド国内の一流財閥グループに、クマール・マンガラム・ビルラ(1968-)を総帥とするビルラ財閥があります。 タタとビルラは、出身・行動様式を含めて、あらゆる面で異なり「宿命のライバル」とされてきました。

両者は、タタが比較的重工業分野に強く、ビルラは製紙・精糖をはじめとする軽工業分野にコア事業が置かれています。 もちろん、自動車や金融分野では競合する部分がありますが、基本的な部分では意識的に事業分野が重なることを避けてきたという感じすらします。 



しかし、時代の波には逆らえず、ドッグイヤーで進む情報通信革命のなか、双方ともに協力関係が求められる状況にあります。 2000年にタタとビルラは、AT&T(アメリカ)と協力し、携帯電話の分野で関連子会社同士を合併して、本格的な参入を図ったのであります。

インドは「21世紀の大国」といわれていますが、タタもビルラと組み、新世紀を切り拓こうとしています。




 

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李財閥(香港)

2022-09-13 06:22:12 | 国際政治・財閥

香港の李一族は、100億ドルの資産を持つ全世界で23位の(『フォーブス誌』)の大富豪です。


東京の表玄関であるJR東京駅の八重洲口、有楽町寄りにある旧国鉄用地に、2001年秋、総ガラス張りのモダンなビル「パシフィック・センチュリー・プレイス丸の内」が出現しました。

これは香港のパシフィック・センチュリー・グループ(PCG)の日本法人会社(PCGJ)が総額1300億円を投じた不動産開発プロジェクトです。



1997年に国鉄清算事業団の入札で同社が落札(868億円)し、その後、東日本旅客鉄道グループと協力して、わずか4年で完成させました。 その規模は、約6400m2の用地に、地下4階、地上31階、高さ150mというものです。 

このインテリジェント・ビルには、商店街、オフィスなどを備え、外資による最大級のビルとされています。 開放的でかつその堂々とした存在は、まさに丸の内・大手町地区のビル群を脾し
している感があります。



このPCGJ社のオーナーが、いま香港のITビジネスなどで脚光を浴びているリチャード・リー(李沢楷、1967-)であります。 1993年に、同氏がスターTVの株をルパード・マードック率いるニューズ・コーポレーション社へ9億5000万USドル(推定)で売却した際、その巨利の一部を投じて設立したのがこの開発・投資会社であります。

これまでも、華人系企業の対日進出はいりいろなかたちで示されてきましたが、このびるのように、はっきりと日本人の目に見えるかたちで出現ぢたのはおそらく最初のケースでしょう。




23歳でスターTVを立ち上げたリチャード

1990年、わずか23歳のリチャード・リー(以下、リー)は、将来の中国を含むアジアを視野に置いた衛星放送のスターTVを立ち上げました。 

しかし、前述のように、より成長を望める事業のためにこれを売却し、手中にした巨額の資金で不動産をはじめ保険、さらにインターネット関連事業も手がけるパシフィック・センチュリー・サイバーワークス(PCCW)社を設立しました。


このPCCW社が、2000年2月には香港で最大の通信会社ケーブル・アンド・ワイヤレスHKT社(旧香港テレコム)を約380億ドル(約4兆2000億円)という破格の金額で買収に成功しました。 

買収に際しては、一時、シンガポール・テレコム社やルパート・マードックも絡むといった複雑な様相をみせましたが、結局、リーが手中にしたもので、このときの巨額な買収資金の電撃的な資金調達能力に、関係者は度肝抜かれました。


今後注目されるのは、「ハイテク・インテリジェント都市」を標榜する香港が、シリコン・バレーをめざして進める「サイバーポート」建設構想に、りーのPCCW社が中心的役割を担っていることで、これには、すでにインテル社などのハイテク企業も進出を明らかにしています。

しかしながら、2000年初期から始まった世界的ITバブル崩壊による影響を受け、PCCW社自体の2001年の業績は低迷を余儀なくされ、傘下の携帯電話会社であるCSL社をオーストラリアの通信会社テルストラ社へ売却するなど、事業を縮小する傾向も見えます。




叩き上げの初代・李嘉誠は香港フラワーで大成功

いずれにしろ、このところ華々しい活動が目立ったリチャード・リーですが、その父親は香港最大の財閥「長江グループ」を統括し、スーパーマンとの異名を持つリー・カシン(李嘉誠、1928-)であります。

リチャード・リーはその次男にあたります。 本人は触れられるのを嫌がっているといわれますが、スターTVを起業する際には、父親が巨額の資金を提供したとされます。 リチャードの一連の派手な動きは、父親からの「独立運動」ともみられています。


周知のように、1997年、香港の施設権はイギリスから中国に移り、トン・チーホア行政長官のもとで、一国二制度の新しい時代に入りました。 

このときも、リー・カシンは、一時、その初代長官に擬せられたほどの実力者で、一国二制度という妙手をっ考えついたのも、北京と太いパイプを持つリー・カシンその人だったいう説もあるくらいです。


リー・カシンは潮安なまりの広東語で話すとされる通り、出身地は広東省潮安であります。教師だった父親の影響もあって、子供の頃は、本に親しむことが多かったようですが、幸せなときはそう長く続きませんでした。   

日中戦争が勃発したのです。


一家は難を逃れるため香港へ移住しますが、その香港も1941年には日本軍によって占領されてしまいます。父親は、この間の苦労が重なり病死して、長男であるリー・カシンは進学をあきらめざるを得ませんでした。 

15歳で小さなプラスチック工場の臨時雇いとして働くことで、リー・カシンは残された母親と弟二人、妹一人の家計を助けることになります。


1950年、22歳になると、それまで懸命に働き貯めた小金を元手に独立し、プラスチック玩具や家庭用品を製造する「長江実業公司」という会社を興すことになります。 

若き日のリー・カシンの気概を込め、中国一の大河、揚子江(長江)から名をとったこの社名は、創業時こそ似つわしくなかったかも知れませんが、今日では、まさにその名の通り香港はおろかアジアの大財閥にふさわしいものになりました。


その後、長江グループは、不動産から電力、スーパーマーケット、出版、貿易、情報通信、港湾事業などにまたがる巨大産業グループに発展していくことになります。

その長江グループのなかの有力企業ハチソン・ワンポア(和記黄捕有限公司)の関連企業ハチソン・テレフォン・カンパニー(HTCL)は、日本のNTTドコモからの資本を約25%受け入れ、
携帯電話の分野にいっそう注力しています。



また、海外投資にも積極的で、近年はオーストラリアの電力分野の配電・小売りの事業会社買収に意欲を燃やしています。

こうしたビジネスエンパイアを築くもととなった事業が、1950年代後半に欧米で大ブームになった造花、プラスチック・フラワー(香港フラワー)であります。 リー・カシンはこのチャンスを捉えて輸出に全力をあげました。 その結果、同業者から「フラワーキング」と呼ばれるほどの成功を収めたのです。


彼の非凡さは、このブームがいずれ下火になることを見越して、その儲けを、有望な不動産投資に振り向けたことにありました。 1960年代、機を見て有望な土地を次々と買収。 続いて1972年、当時、香港が第一次株式ブームに沸いた頃、長江実業を上場して資金を集め、さらに不動産投資や有力企業の株式取得に」動いたのでありました。

その結果、1970年代後半には前半に比べて長江実業の純資産額が三倍強に増えました。 この頃から、香港財界を中心に「超人・李」とのニックネームがつくようになりました。




香港の中国復帰前から海外や中国に進出

また、同じ頃から、香港の中国復帰問題(97年問題)が有力実業家や財閥の間でも意識され始めてきます。当時、カナダ西岸のバンクバーには、香港から多くの移民が押し寄せ、香港脱出とも受け取られかねない動きも出てきました。 

そのような中で、リー・カシンが着目したのは、やはりカナダでした。たとえば、ハスキーオイル社買収や、リー・シャオキー(李兆基)らとともにバンクーバー市の万博跡地再開発権の取得などに動きました。 こうしたことから当時のバンクーバーでは、新聞などで「ホンクーバー」と揶揄されるほど、香港実業家の投資が相次ぎました。



しかし、時代を見通すリー・カシンの冷静な目は、そんなときでも同時に中国へ熱い視線を注いでいました。

中国で改革開放の動きが本格化した1992年以降は、上海コンテナターミナルや北京の「銀座」王府井(ワンフーチン)商業施設開発などの第プロジェクトに積極的に取り組んでいます。


さらに、このような仕事を通して、北京の要人たちとの人脈が築かれるわけですが、リー・カシンは将来の事業に備え、その関係をより強固なものにしました。

一方の北京政府も、時価総額で香港株式市場の約10%を占める圧倒的なパワーを持つリー・カシンの実力を活用して、スムーズに97年問題を乗り切っていこうという姿勢を垣間見せるようになってきました。



こうして、既述のとおり香港返還は一国二制度で、という妙手につながったのであります。
1997年はタイから始まったアジアの経済危機が進行し、その後約2年間に渡って危機が格国を襲いました。 この事態がアジアの有力華人実業家たちを軒並み直撃しました。 

たとえば、前述のリー・シャオキーの場合、1年間で3割近くも資産を減らしたといわれています。しかし、リー・カシンの場合、資産の減少は2割程度にとどまったようです。 


これは依然として香港随一の資産家であることを意味しますが、むしろ100億ドルの資産を持つ全世界で23位のスーパー・リッチの座にあるといったほうが、適切なのかも知れません。




兄弟には子供の頃から「生きた経営学」を伝授

リー・カシンには2人の息子がいます。 いまをときめく前述のリー・リーは次男ですが、長男はビクター・リー(李沢鉅)であります。 

父親のリー・カシンはこの2人に生きた経営学を学ばせるため、9歳前後の子供の頃から直接事務所に読んでいたといます。 大人たちの商談を実地に見せ、夜も経営幹部の会議を見学させたという逸話が残るほど教育熱心でした。



また2人の息子をアメリカの名門スタンフォード大学に留学させ、長男には土木工学を、次男には電子工学を学ばせています。 

現在、最大の関心事は、長江実業を中核とする大グループを今後統括していくポスト・リー・カシン、つまり後継者は誰かという点であります。この問題は、長男のビクター・リーが継ぐということで、ほぼ衆目の一致をみているようです。


次男リチャードの近年の派手なビジネス活動も、これを前提とし、自らの事業を模索するために自由闊達に動き回っているだけです。 

また、彼の行動を観察してるとある意味で父親をライバル視しているようでもあり、彼なりの新しいタイプの企業集団の構築を目指しているのかも知れません。


それにしても、リー・カシン、それにビクターとリチャード兄弟が加わった李一族の時代を見る目には確かなものがあり、時代を動かす人脈にも李一族の目配りや先読みが見て取れます。 

特にリチャードを中心にした人脈に、ルパート・マードック、ジェリー・ヤン、孫正義など、旧来型の経営者や実業家たちとは異なるタイプの人物が目立ちます。 


リー・カシンの描いている構図には、二人の息子に大事な旧来型のビジネスと新しいネットを中心としたビジネスを競わせる意図が見て取れます。 この二人が連結することで、今後。一族の確固たる繁栄が築くことが出来ればそれで良しと、創業者リー・カシンは思っているのかもしれません。

ただ一つ懸念を申し上げれば、1970年初期は米ソ冷戦の真っただ中、共和党のバックにいるロックフェラー財閥の当主・デイビッド・ロックフェラーが中露分断を目的とし、中国を支援することを決めました。 


そして共和党のユダヤ人・キッシンジャーがまず訪中し、1972年2月に共和党のニクソン大統領が北京を訪問し、毛沢東と会談し、中国に米国の科学技術と巨額の資金提供を約束しました。 

但し、条件としてアメリカに共産主義を持ち込まない、台湾を含む他国を侵略しない。 また逆に中国からは日本が台湾を侵略しないようアメリカが見張るという条件が提示されました。


この頃は中国は世界の最貧国の一つで、米国にとって全く脅威ではなかったのです。 そしてアメリカは同盟国並みに中国を支援し、今日の化け物のようが中国が出来上がりました。リー・カシンが大成功を収めたのもこの時期です。

しかしながら習近平体制になり、中国はアメリカと覇権を争う姿勢を見せ、台湾を含む他国を侵略する態度を見せ、デイビッド・ロックフェラーは約束を破った中国に激怒。 一気に欧米は手のひらを返したように反中国。 今からは中国にとっては暗黒の時代です。 



安倍政権では、日本を露骨に侵略してくる習近平を国賓で招待するなど、完全に親中・媚中でしたが、親中になびく安倍政権を米シンクタンク(ジャパン・ハンドラー)が公然と批判した直後、安倍首相は電撃辞任。 菅政権の誕生となりました。以後、菅・岸田政権は親米・反中の政策をとっています。 

そして米国を怒らせてしまった安倍首相も手のひらを返したように反中の発言が多くなりました。 よって、李一族の快進撃は、これからは厳しい局面を迎えるように推測されます。


・リンカーン、ケネディ、安倍元首相暗殺の共通点https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/62b46eec87d1a18e8da9195e4d353d64

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