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ロスチャイルド財閥-9 ウィーン体制 そしてオーストリア帝国宰相クレメンス・メッテルニヒの直系の孫であるメッテルニヒ氏との食事会 

2022-09-25 08:47:43 | 国際政治・財閥

 

 

 

 


私Renaissancejapanがオーストリアに住んでいた頃、ウィーンでのクリスマスパーティでの写真。 


右奥に見える威厳のある年配の方が、教科書にも掲載されているオーストリア帝国宰相クレメンス・メッテルニヒの直系の孫であるメッテルニヒ氏、現在オーストリアでは貴族称号が禁じられているのでドイツのミュンヘンにお住いのようです。 

バイオリンの演奏者は、名前を忘れましたが世界N0.2のバイオリン奏者で有名な音楽家らしい。 
この日のために、銀行の金庫から国宝のストラディバリウスを取り出してきたと司会者が言われていました。

 
ナポレオンの追放を受けて1814年から1815年に開催されたウィーン会議では、旧勢力によるヨーロッパ支配体制が復活しました。 

1815年9月には、オーストリア、プロシア、ロシアの各王によって、「三国王は一宗教(キリス教)の三分枝、すなわち、オーストリア、プロシアおよびロシアを統治することを神意によって委ねられている」と謳う「神聖同盟」が締結されました。



旧勢力の老舗銀行家たちは、新興ユダヤ人ロスチャイルド家を排除しようと画策しました。 しかし、ロスチャイルド家は公債相場の暴落を仕掛けて、老舗銀行家たちへの逆襲に成功します。 

その結果、ユダヤ人でありながら、ロスチャイルド家は旧体制ともいうべき神聖同盟の銀行という不動の地位を築きました。





オーストリア帝国宰相メッテルニヒとの蜜月関係

オーストリア帝国の外相(後に宰相)クレメンス・メッテルニヒには、低利で巨額な個人的融資を取り計らい、深く食い込みました。 

ロスチャイルド家がウィーン会議に派遣した二人の代理人は、ウィーン警察から革命分子と疑われ退去命令を受けましたが、メッテルニヒはこの命令を破棄しました。


ナポレオン時代、束の間の自由を得たドイツのユダヤ人たちも、ナポレオン戦争後にはユダヤ人の商売に脅威を感じた人々から迫害を受け始めました。

 ロスチャイルド家も狙われ、アムシェルも命を狙うと脅迫されたり、フランクフルトのアムシェルの家が群衆に襲われたりします。


メッテルニヒは、大衆の過激行動に反対でしたので、ロスチャイルド家は彼の保守主義が、大衆の攻撃から自分たちを守ってくれるものと考えました。 ここに、ロスチャイルド家とオーストリア帝国宰相メッテルニヒとの蜜月関係の鍵があります。


1694年にイギリス政府に軍事費を融資する目的で設立されたイングランド銀行は見返りに、勅許状で、銀行券(通貨)を発行する特権を与えられ、以降、ロンドン地域における銀行券発行を独占していました。

さらに、イングランド銀行は、イギリス政府の財務代理人としての務めを果たしていたため、年間10万ポンドを賦与されて、その資産や業務は免税扱いされていました


一方で、イングランド銀行は、稼ぐ義務を株主に対して負う民間の商業銀行であり続け、金融業や諸産業への融資を盛んに行っていたので、ロスチャイルド家の初期の競争相手でもさりました。 

イングランド銀行の理事は、イギリス政府の植民地政策に関わるシティの商社やマーチャント・バンク(国際銀行)などから血縁や」友人関係によって選出されていて、キリスト教徒による閉鎖的な社会をつくっていました。




国際的な債券市場の誕生

ロスチャイルド家によって国債という形での資金調達が、ヨーロッパ格国に広く紹介され普及していきます。 外国債の仕組みを最初にイギリスやプロシアに紹介したのもネイサンです。 

イギリス国債はロンドン市場だけでなく、フランクフルト、ベルリン、ハンブルグ、アムステルダムそしてウィーンの市場でも発行され、国際的な債券市場を形成しました。 


政府の資金計画に対して革新的かつ複雑な方法で資金提供を行うことが、ロスチャイルド家の主力業務となります。国際的な債券市場の誕生は、ロスチャイルド家が近代経済の発展へ果たした最も大きな貢献の一つです。 

1818年の5人の兄弟間のパートナーシップの契約によると、ロスチャイルド家全体の資本金の総額は、1815年からの3年間で13倍も増えました。所有する資本額と事業経営上の責任とを考慮に入れた兄弟間の損失と利益の配分率は、N・M・ロスチャイルド&サンズでは、ネイサンは倍増して50%にまで及んで突出しました。


N・M・ロスチャイルド&サンズは世界の債券市場を支配する国際的な巨大銀行となっていきました。分かり易いイメージとしては、J・P・モルガン、メリル・リンチ、モルガン・スタンレーにゴールドマン・サックスを合わせたくらいの巨大さで、またIMFのように数多くの国家の財政を安定させる役割も担いました。 

そして、ネイサンと兄弟たちは、後に各国の中央銀行が果たすことになる国際的通貨協力の仕組みを構築し、国際金融市場でも支配的な地位を築きました。


1820年、ネイサンは、当時のヨーロッパでの垂涎(すいぜん)の名誉職、ロンドン駐在のオーストリア帝国総領事に任命され、それに伴う免税などの特権も手に入れました。 

1820年代に入ると、ほとんどの大国の財務大臣がロスチャイルド家に買収されていました。 


それだけではなく、1820年に即位したイギリス王ジョージ4世も、ワーテルローの戦いの英雄で、1828年に首相に就任したウェリントンも、同家から多額の借金をしていて、その掌中にありました。 

国が公債を発行して借金をしては、その都度莫大な金額をロスチャイルド家に支払う異常な取引も多発しました。


ロスチャイルド家は、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアの対立構造を巧みに利用して最大限の利益を得ました。





5本の矢による五極体制の完成

1820年、メッテルニヒとの親交が厚い次男・サロモンが、ハプスブルグ家での仕事が増えたためにウィーンに移住し、ウィーン・ロスチャイルド商会を正式に設立して、オーストリア政府の御用銀行となりました。 ウィーン・ロスチャイルド家の誕生です。

1821年には4男・カールがナポリに移り住み、ナポリ・ロスチャイルド商会を正式に設立しました。 ナポリ・ロスチャイルド家の誕生です。


フランクフルトの本店を守る長男・アムシェル、ロンドンで大銀行家となった3男・ネイサン、パリでの大立者5男・ジェームズとともに5本の矢による五極体制の完成です。 

ただし、ウィーンとナポリの場合は、引き続き、1848年までフランクフルト商会の支店の地位にありました。 


821年、ネイサンに続いてジェームズも弱冠29歳でパリ駐在のオーストリア帝国総領事に任命されました。 フランス貴族にとっても垂涎(すいぜん)の名誉職です。 

彼は、その地位にふさわしい住まいとして、パリのラフィット街の壮大な宮殿を買い取っています。



ジェームズの銀行は、競争相手をすべて追い越し、彼の資産はフランスの他の金融業者全員の資産合計よりも3割以上大きいと見られていました。

1822年、遂にオーストリア皇帝によって、経大人全員とその男性の嫡出が「男爵」に叙せられました。


ナポレオン戦争時のイギリスからの補助金と、戦後のフランスからの賠償金のオーストリアへの支払いにロスチャイルド家が果たした役割への褒美です。

名実ともにロスチャイルド家はヨーロッパの上流社会に入りました。 このとき、貴族としての「紋章」を与えられました。




                 ロスチャイルド家の紋章


オーストリアの鷲とヘッセン・カッセルを表す獅子とを合わせたデザインで、中央に赤い盾を刻み、おおきな盾の中には5人兄弟の結束を象徴する5本の矢を握る腕の図柄をあしらった、ロスチャイルド家の家訓として、Concordia, Integritas, Industria (調和、誠実、勤勉)という銘が刻まれました。 

これは、もちろん、オーストリアのメッテルニヒ首相に対して、ロスチャイルド家が多額の金銭を貢いだ成果でもあります。 

ただしネイサンは、この後も「ロード」ではなく単なる「ミスター」で通しています。彼はイギリス国民として帰化していて、「自由なイギリスでは専制王国オーストリアの男爵などくだらない」と語っていました。





ヨーロッパ金融市場の支配者

オーストリア帝国にとって、ロスチャイルド家はかけがいのない存在でした。 オーストリアだだけではありません。 

1820年代、30年代を通じて、5兄弟が重要な取引をしていた政府は、イギリス、フランス、プロシア、ドイツ諸国、ベルギー、ナポリ、スペイン、ポルトガル、ブラジルなどに及んでいました。
 

ロスチャイルド家はヨーロッパ中の王室をも顧客にし、ヨーロッパ中の王室が同家に金を無心(むしん)したのでした。 

ヨーロッパを支配するグレート・パワーは、イギリス、オーストリア、ロシア、プロシア、フランスの5大国およびロスチャイルド家だと言われました。これは、ロスチャイルド家がイギリスの名門ベアリング家から経済的覇権を奪い勝ち取った証でもありました。


一方で、1820年代、ロスチャイルド家は富への妬み、ユダヤ教への反感、そして保守的な政治姿勢への非難を広く受け始めました。 ヨーロッパの多くの富裕なユダヤ人が、社会的同化のためキリスト教に改宗しましたが、同家はユダヤ教への信仰を守りました。

同家の神聖同盟との関係は、自由主義者たちの批判の的となりました。 ロスチャイルド家は、しばしば新聞にも非難されました。 これに対してネイサンは、イギリスで最も影響力のある新聞『タイムズ』を彼らサイドのメディアとして、他の新聞に対抗しました。 以降、ロスチャイルド家は世界中でメディアへの影響力を大きくすることに傾注します。



ロスチャイルド家は海外に乗り出し、アメリカ合衆国やインド、キューバ、オーストラリアといった遠方の市場に積極的に進出していきます。 

ネイサンは、マンチェスターで織物を扱っていた頃にアメリカ南部から綿を買入れて以来、アメリカとの関係を築いていました。 

 

彼はアメリカの農業・工業の発達に強い関心を寄せ、同地に確固たる地盤を築きたいと思っていました。彼はいくつかの州政府に貸し付けを行い、一時期、民間の中央銀行である合衆国銀行の保証人にもなりました。

N・M・ロスチャイルド&サンズは、パリ、ウィーン、ナポリに支店を設け、各種債権などを取り扱いながら、銀行・鉄道・鉄鋼・軍需などの会社の財政業務の代行や監督を行いました。
 

ネイサンは、当時の新聞にしばしば「ヨーロッパ金融市場の支配者」と書かれました。 1825年の兄弟間のパートナーシップの契約を見ると、ロスチャイルド家がますます大きくなっていることが分かります。 

ロンドンとフランクフルトとパリを合わせたフラン建ての資本金は、1818年に比べて2.4倍の1億フラン以上となっています。 ちなみに当時のフランス銀行事実上の資本金が6000萬フラン、またパリでロスチャイルド家に次ぐ銀行と言われたラフィット家の資本金は700万フランで桁が違います。 ポンド建ての資本金は2.3倍となっています。




(関連情報)

・ロスチャイルド財閥-8 N・M・ロスチャイルド&サンズ
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・ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦いhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/089dd4046b812a12210b3632618c333f

・ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bf1ef0b119dc91fe01175386fdcfdd16

・ロスチャイルド財閥ー4 金融街シティの誕生https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/51d373b45f326e454062fb2a23aca712

・ロスチャイルド財閥-3 宮廷御用商https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d3a104615c2562e9e9e56f8b87d8e2fb

・ロスチャイルド財閥ー2 創始者、マイアー・アムシェル・ロスチャイルド
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5d6c686e25057050e0bc970e0d133912

・ロスチャイルド財閥-1 先祖
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e6dc2f2ded6425f4bb68d3d1783ebb




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ロスチャイルド財閥-8 N・M・ロスチャイルド&サンズ 

2022-09-25 03:48:58 | 国際政治・財閥



 

1812年、マイアーが68歳で亡くなると、35歳の3男のネイサン(1777年ー1836年)が総主を継いで、ロスチャイルド2世となりました。

ネイサンには、前述のように並外れた商才と実績がありました。 
長兄のアムシェルはそれを認め、長子相続を自ら放棄し、他の兄弟も認めました。 


当時のヨーロッパ大陸ではナポレオン皇帝による反ロスチャイルド政策が続いていたため、ビジネスの拠点としてロンドンが最も適していたという事情も背景にありました。

ネイサンは、父の死に先立ち、ロンドンのニューコート地区に、N・M・ロスチャイルド&サンズ(N・Mはネイサン・マイアーの頭文字)という銀行を立ち上げていました。



N・M・ロスチャイルド&サンズが創られたのは、フランクフルトのM・A・ロスチャイルド&サンズの業容が巨大になり過ぎたため、経営効率上、ロンドンの活動を大陸の活動と分けるためです。 

現在のシティにおいても大きな影響力を持つN・M・ロスチャイルド&サンズは、現存するもっとも長い歴史を誇るマーチャンド・バンク(国際銀行)です。 アメリカ合衆国のトランプ政権のロス商務長官も同行の出身です。


尚、最古のマーチャント・バンク(国際銀行)は、1762年に創業したベアリング家のベアリングス銀行でしたが、1995年にシンガポール支店のトレーダーが日本の証券市場でのデリバティブ取引に失敗して大損失を出して倒産しています。





ナポレオン戦争への大規模支援
ネイサンは、アメリカやインドからヨーロッパ大陸に流れる金塊取引から巨利を得て、多くをイギリス国債に投資しました。 

ナポレオン戦争(1803年ー1815年)で、イギリスの国債発行額は一気に増加しましたが、かなりの部分が彼によって引き受けられました。 



ネイサンのイギリス政府支援は、大陸のロスチャイルド家にとっては、ナポレオン政権に知られてしまうと、身に危険が及ぶリスクの高い行為でした。 さらに、彼はイギリス政府から軍資金や通信文の輸送を任せられました。

イギリス政府は、ナポレオン戦争の最後の数年間、オーストリア、プロシア、ロシアに対して莫大な軍事費の援助を行いました。 



当時、危険を伴うために金地金(インゴット)の輸送が難しかったのですが、ネイサンと兄弟たちは、お互いの間で、最初の国際的な手形交換所を設立し、イギリス政府が同盟国に宛てた送金業務の大部分を取り扱ったのでした。

加えてネイサンは、イギリス軍のウェリントン将軍の片腕としてナポレオンと戦うスペイン独立戦争(1808年ー1814年)の財政計画を立て、軍資金(金地金)をポルトガルにいるウェリントン将軍に送り届けました。


当時、このウェリントン将軍は、インドの軍事支配への貢献により貴族の最高位「公爵」を授けられて「ウェリントン公爵」となり、「鉄の公爵」の異名をとっていました。






ワーテルローの戦いでぼろ儲け
ヴィルヘルム9世の投資も引き続いてネイサンの名義でなされ、ネイサンによる莫大な金額の取引がシティを席巻するとともに、彼は巨額のイギリス国債を保持して政府の財政を牛耳る資本家となり、ネイサンは政財界のトップにも影響力を持ち始めました。

1814年にナポレオンはウェイントン将軍との戦いに敗れ、エルバ島に追放されます。 王政復古となり、ネイサンやジェームズが用立てた資金で、ルイ18世の輝かしいパリ入城が実現しました。 



この年、N・M・ロスチャイルド&サンズは、北ドイツのハンブルグを本拠とした、ドイツのユダヤ系大手企業、M・M(モーゼス・マルクス)・ウォーバーグ商会を系列に加えました。

この後、ウォーバーグ家は繁栄を謳歌していきますが、その子孫たちはロスチャイルド家のために尽くしていくのです。 



1815年6月、イギリスはエルバ島を脱したナポレオンとの最期の決戦ワーテルローの戦いに勝利しましたが、この戦いを支えたのもロスチャイルド家でありました。

ネイサンは、ワーテルローの戦いでのイギリスの勝利の報を、ロスチャイルドの情報ネットワークによって誰よりも早く知っていました。 ところがネイサンたちは「ウェリントン将軍は敗れた」と言いふらし、これみよがしにイギリス国債を大量に投げ売りしたのです。



イギリスが敗北したものと思い込んだ市場関係者は「ワーテルロー・ショック」の恐慌を引き起こし、皆がイギリス国債を超安値で投げ売りしました。 その間ネイサンたちは密かに投げ売りされた国際を底値で買い集めました。 当時は、携帯電話もインターネットもありません。 

イギリスが勝ったという知らせが48時間たってから首相官邸経由で市場に伝わると、大歓喜が沸き起こって国債は猛烈に暴騰し、ネイサンは買い集めた莫大な国債を高値で処分しました。



このように自ら仕掛けて証券市場に大変動を起こし、それを利用して膨大なキャピタル・ゲインを獲っていくやり方こそ、ロスチャイルドが最も得意するお家芸でした。

ロスチャイルド様が言っていたかどうかは知りませんが、「みんなアホネ!」と言っていたのかも知れません。



ワーテルローの戦いの前後5年で、ネイサンの富は、7万倍弱になったと言われています。 彼自身は、1815年から5年間の間に財産を2500倍にしたと控えめに自慢しました。

ワーテルローの戦いで勝利したウェリントン将軍は、後に二度にわたってイギリス首相を務めます。 ウェリントン将軍は戦争で大いに世話になったロスチャイルド家とは切っても切れない関係になっていました。



ネイサンは、イギリス政府からヨーロッパ大陸各国への戦後処理の補助金についても、資金手当てや送金業務を担い、名実ともにイギリス政府を支える公(おおやけ)の金融家となりました。

1815年にナポレオン戦争に伴う大々的な金融事業が終結すると、5人の兄弟はパートナーシップ契約を再締結し、新たな統一体としての再編成を行いました。 



前述のように、各商会の全体の貸借対照表(たいしゃくたいしょうひょう)は、毎年フランクフルトに集められ、ロスチャイルド家全体の貸借対照表が作成され、全体として一つに」まとまった「何人かの長を持つ単の商会」を形成していきました。

5人兄弟の資本の配分は、ネイサンが表に出て66%と突出し、アムシェルとソロモンが各13%、カールとジェームズが各4%でした。各商会を合わせた全体としては、世界最大の銀行でした。



ネイサンは、フランクフルトに対して従属的な立場に甘んぜず、独創的かつ革新的にビジネスを展開しました。 兄弟の力量の差によって資本の配分は相対的に変動しました。 

もっとも、引き続きロンドンが極めて重要な位置にあったことも背景にあります。尚、このときのN・M・ロスチャイルド&サンズの資本の配分は、ネイサンが27%、アムシェルとソロモンが各20%、カールとジェームズが各16%でした。







(関連情報)

 

・ロスチャイルド財閥-7 5本の矢
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・ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦い
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/089dd4046b812a12210b3632618c333f

・ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bf1ef0b119dc91fe01175386fdcfdd16

・ロスチャイルド財閥ー4 金融街シティの誕生
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/51d373b45f326e454062fb2a23aca712

・ロスチャイルド財閥-3 宮廷御用商
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/d3a104615c2562e9e9e56f8b87d8e2fb

・ロスチャイルド財閥ー2 創始者、マイアー・アムシェル・ロスチャイルド
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5d6c686e25057050e0bc970e0d133912

・ロスチャイルド財閥-1 先祖

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・ロスチャイルド財閥-111 国際金融財閥の序列
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