Renaissancejapan

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ロスチャイルド財閥ー11 合衆国銀行

2022-09-26 19:58:47 | 国際政治・財閥

 

 

既に、ロンドン家のネイサン・ロスチャイルドがビジネスを展開していたアメリカ合衆国ですが、ロスチャイルド家の関与がさらに強くなったのは、、1830年代と言われています。


ロスチャイルド財閥-7 5本の矢
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1e2fa5625a9d19f29501b9a2fab08287



アメリカ合衆国には、連邦政府の財政需要に応えるために、1791年に合衆国議会によって公認された第一合衆国銀行という民間所有の中央銀行がありました。 1791年以前は、各州の民間銀行がそれぞれに通貨を発行していました。

南部諸州は独立心が強く、中央集権的な銀行に疑念を抱いていたため、第一合衆国銀行のl公認期間は、1811年までと区切られていて、ジェームズ・マディソン大統領(在任1809年ー1817年)のときに、期限通りに後任は失効しました。





ロスチャイルドが支配する第二合衆国銀行
しかし、米英戦争(1812年ー1814年)の間に、政府の大きな借金のために各民間銀行の発行紙幣が増加し、インフレが進んでしまい、アメリカ合衆国の信用が建国以来最低のレベルに陥りました。

そこで、1816年、マディソン大統領と議会は、アメリカ合衆国の新たな中央銀行として、第二合衆国銀行を創設しました。 この銀行も民間が所有する銀行で、パリ家のジェームズが筆頭株主となり、ネイサンは一時期、保証人となっていました。



ネイサンやジェームズと第二合衆国銀行との貿易金融や証券金融での連携は効果を上げ、ロスチャイルド家はアメリカで大成功を収めていきます。 ヨーロッパがナポレオン戦争によって荒廃したために米英戦争後、アメリカ合衆国の経済は拡大し、農業生産も増大、銀行は融資を拡大し、地価は上昇してバブル的状況となりました。

ロスチャイルド家は、新設の銀行や運河への投資を行う一方、ニューヨーク州やインディアナ・アラバマ・ミズリー・ミシガンなどの新しい州の州債も大量に引き受けました。



1835年1月、ネイサンはアメリカ国務省のロンドンの金融代理店としての地位をベアリング商会から奪い、合衆国政府との関係をしっかり固めました。 これは、大きな意味を持つ出来事でした。

アメリカからヨーロッパへの綿とタバコの輸出はどんどん伸び、1830年代半ばには、ロンドン家とパリ家は既に手広く貿易手形ビジネスを展開していました。両家は、アメリカ合衆国での政府への借款、そして商業金融にさらに踏み込みます。







ロスチャイルド家への反発
1830年代、ロスチャイルド家の存在がアメリカで目立つようになると、一般のアメリカ国民はユダヤの銀行として猜疑心を持ち始め、「ユダとシャイロックの血が流れている」と言って、ロスチャイルド家を非難する州知事も現れました。 

同家は、アメリカ合衆国において政治的なターゲットとされ始めました。



第二合衆国銀行の公認期間は、第一合衆国銀行と同様に20年間で、1836年が更新年でした。

第二合衆国銀行は民間銀行ですが、連邦政府の歳入の預託場所(預託とは金銭や部品を一時的に預けることで、銀行の場合は株式や有価証券)となっているなどの利権を持っていて、これに嫉妬する各州銀行の攻撃を受けました。
 


そのような情勢を受けて、西部開拓民出身で、白人男性の普通選挙権を確立したジャクソン民主主義で有名な、第7代アメリカ合衆国大統領アンドリュー・ジャクソン(在位1929年ー1937年)が、第二合衆国銀行の公認更新に強く反対し、1832年の大統領選挙で第二合衆国銀行をなくすことを謳って再選されました。

再選後、彼は、第二合衆国銀行から政府資金を引き出し、各州の銀行に移しました。 



この資金の各州への流れは、アメリカ経済に大きく関与して、直ちに経済の拡大につながり、政府は全債務を返済することができ、財務省に黒字を残しました。

ジャクソン大統領は、不正や腐敗、そして大統領選挙に干渉した嫌疑に関して第二合衆国銀行に調査を入れ、1836年の公認切れよりも前に、なるべく早く同行を「潰す」ことを望みました。



彼は声明で「現在の銀行を支配するロスチャイルド家などの海外株主」を攻撃し、国民の利益に沿わないとして、第二合衆国銀行の公認更新に大統領としての拒否権の行使に動きました。

さらに、公認を更新させようと策動していたロスチャイルド家の動きに激怒したジャクソン大統領は次のように言いました。

 

「お前たちは悪の塊だ。お前たちをぶちのめしてやる。 もし国民が我が国の貨幣銀行制度の追いはぎ不法行為を理解したなら、夜明け前に革命が起こっていたであろう」。 

「銀行は私を殺したいであろうが、私が銀行を殺す。お前たちは腹黒い盗人の巣窟だ。 私たちはお前たちを一掃する。 永遠なる神の力によって、お前たちを必ず一掃する」。 



「私立の中央銀行が存在することによって、我々の政府から恩恵を受けるのはこの国の市民ではない。」

「800万ドル以上の中央銀行の株は外国人が保有している。この国に全面的に結びついていない銀行に、我々の自由と独立が侵される危険があるのだ」。




ジャクソン大統領の攻勢に、第二合衆国銀行は間もなく資金を失い始め、貸し付けを引き上げ、新規貸し付けを止め、最後には現金が枯渇しました。 

ジャクソン大統領が公認更新を拒否し、1836年に公認が切れると、同行はフィラデルフィアの普通の銀行に変わりました。ジャクソンクソン大統領は、ロスチャイルド家に勝ったのです。 




1836年7月、フランクフルトにてネイサンは病死。 翌年、ジャクソン大統領の暗殺未遂事件が起こりました。この暗殺未遂についてはいろいろなうわさが飛び交いました。

ジャクソン大統領がロスチャイルド家と争った結果として、ヨーロッパ各国とは違い、1836年から1913年までの間、アメリカ合衆国には中央銀行が存在しませんでした。

 


この時以来、ロスチャイルド家にとっては、アメリカ合衆国に民間の中央銀行をつくることが不退転の目標となりました。 



そもそも、アメリカ合衆国では、通貨発行権は憲法により、連邦議会に付与されていました。
すなわち、通貨発行権を民間企業所有の中央銀行が持つというのはおかしな話なのです。

憲法採択当時から、第一合衆国銀行ができるまでは、通貨として流通していた金と銀に対して兌換義務のある銀行券を各州立銀行が発行していました。



第二合衆国銀行がなくなった後、この制度は南北戦争時まで続きました。 
この州立銀行券は実質的に経済の拡大に伴い、通貨流通量を増大させていて、また信用と価値の安定に資するものとなっていました。

南北戦争以降は、国立銀行法によって連邦政府の認可を受けた各商事銀行が国債に基づいた銀行券を発行しました。



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第二合衆国銀行の失敗を、ものともしないロスチャイルド家

ジャクソン大統領は州立銀行を奨励して、第二合衆国銀行やニューヨークのウォール街に集う海外の銀行勢力の動きを阻止しました。

しかし、州立銀行の株や債券はシティの資本家に購入されていきました。 強者はあくまで強者でした。



1837年に恐慌が起こりました。 この恐慌もロスチャイルド家によって引き起こされと言われています。
イングランド銀行がアメリカ合衆国に関連する、すべての証券を投げ売りし、合衆国に基礎を置く証券の引き受けや割引(を拒否して、合衆国に急激な金融恐慌を引き起こしたとされています。

割引とは、「支払期日よりも早く支払ってもらうことで、モノやサービスの代金を安くすること」。
早くお金を払ってもらえることで資金繰りがスムーズになる、その見返りとして利息相当の代金を減額するものです。



州立銀行が兌換停止に追い込まれたとき、第二合衆国銀行は廃止されていたので、金融市場では最後の貸手を欠く悲惨な事態となりました。

恐慌がひどければひどいほど、弱者は淘汰され、強者に資本は集中し、大資本家はますます強くなっていきます。




第二合衆国銀行での失敗に関わらず、ロスチャイルド家はアメリカ合衆国経済にますます深く浸透していったのです。

連邦政府は、十分な現金供給に隘路(あいろ:進行の難所)が生じると、きまってロスチャイルド家に公債を引き受けてもらうようになりました。



ロスチャイルド家とベアリング家は、金融のメッカとしてのウォール街を育てていましたが、この恐慌でウォール街への資本集中が一気に進みました。

ベアリング家は、後にイングランド銀行総裁、国際決済銀行(BIS)理事、そしてアメリカ大使を輩出しますが、ロスチャイルド家影響下のシェル石油役員や、スエズ運河会社総裁を務めるなど、ロスチャイルド家に取り込まれていきます。




シティとウォール街とのつながりは一層深まり、アメリカのホテル王アスター家がイギリスで爵位を得たり、アメリカで財を成したゲティー一族がイギリスに国籍を移すなど、「上流階級間」での行き来が盛んになりました。






ライオネル・ロスチャイルドの結婚式と、ネイサン・ロスチャイルドの死

1836年6月、ネイサンの長男ライオネルが、ナポリ家のカールの長女シャルロッテを妻に迎え、ロスチャイルド家の本拠地フランクフルトで一族が集い、盛大な結婚式が行われました。

ロンドンやナポリから馬車が相次ぎ、親たちと共に持参金や土産(みやげ)の数々を運んできました。 パリからは、ジェームズが作曲家ロッシーニをはじめたくさんの同行者を従えて皇帝のような華麗さで到着しました。



ウィーンからは、サロモンがお城のような馬車に乗ってきました。 結婚式はアムシェルが采配を振り、マイアー(ロスチャイルド財閥の創始者、ネイサンの父)の未亡人グーテレ83歳も参加しました。

ところが、ロンドンから来たネイサンが病気の兆候を示しました。 化膿がひどい出来物が最初でした。 結婚式当日、彼は炎症がひどくなって呼吸困難に陥り、祝宴を終えるとベッドに運ばれ、翌日には、うわごとをいうほど悪化しました。




1836年7月、不出世の英雄ネイサンは、生誕の地フランクフルトにて58歳で死去しました。 毒殺説もあります。




ネイサンは、世界一の金持ちで、かつイギリス経済界をリードした人物でした。 残した遺産は当時の経済規模のなかでは天文学的な数字です。

ロンドンの『タイムズ』紙は、ネイサンの死を最大級に取り扱い、社説では、「ネイサン・マイヤー・ロスチャイルドの死は、英国の金融界にとって、おそらくはヨーロッパの金融界にとって、その長い歴史の中でも最も重大な事件のひとつである・・・彼と比較しうるような金融操作は、今まで、ヨーロッパにはなかった・・・



残された彼の兄弟と同じく、ロスチャイルド氏は男爵の称号を持ち、貴族の特権を有していたが、彼は貴族のようにふるまうことなく、ロスチャイルドの名の方を誇りとし、その名の下に、称号ではもたらすことのできない栄誉を得たのである・・・」と賛辞を贈りました。



ドイツ生まれのユダヤ人銀行家ネイサンの葬儀は、王室に匹敵する壮大なものとなりました。 オーストリア、プロシア、ロシア、ナポリの大使、その他格国公使などヨーロッパ諸国の代表、各地の王侯貴族、シティの実力者や市長、地方長官などあらゆる名士が列席しました。






ロスチャイルド家総主の座は、パリ家のジェームズに




ネイサンには、ライオネルをはじめ4人の子供がいました。 彼は子供たちに「他国のロスチャイルド家と密接に連携し、経験に富む同族たちの忠告や助言を進んで受け入れて、ますますロンドンのロスチャイルド家を興隆させるよう」遺言しました。

しかし、ロスチャイルド家の総主の座は、ネイサンの長子でなく、パリ家のジェームズに移ったのでした。 今回も、ロスチャイルド財閥男の創始者マイアー・ロスチャイルドの遺言通りではありません。 



ジェームズの実力が際立っていたことと、ライオネルがまだ20歳代と若かったことが重なったからでしょう。

この時点で既に、ジェームスはネイサンに劣らない財力があり、フランス一の大富豪でした。 アムシェル、ソロモン、カールも各々の国で、ライバルたちの財力よりより遥かに上をいっていました。兄弟の財産を合わせると、ロスチャイルド家は、「断トツ」の世界一の金持ち一家でした。


兄弟たちは各国で、いくつもの丘や庭園を含む桁外れに広大な邸宅を持ち始めていました。王室や政府の重要な人物たちをもてなし、大きなビジネスにつながる情報を獲得するための場です。






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ロスチャイルド財閥ー10 イングランド銀行

2022-09-26 02:32:56 | 国際政治・財閥
 


巨大になったロスチャイルド家は、今度はイングランド銀行に触手を伸ばしました。 

イングランド銀行は、たとえ法令で公的責任を負っていても、民間銀行であり、ロスチャイルド家とは業務が競合していました。

 
1825年、ラテンアメリカで投機バブルが破裂したことを引き金に、ヨーロッパが恐慌に陥ります。イギリスでも多くの銀行が破綻し、各地方銀行の発行銀行券への信頼が損なわれました。

イギリスにおいては、イングランド銀行のほか、多数の地方銀行がそれぞれに銀行券を発行していて、発行限度額なども各銀行の判断に任されていました。

 
イングランド銀行は、「全国における銀行券流通に堅実さと力強さを与える」ため、1826年から1829年にかけて11の支店を設け、「銀行の銀行」として、自らの銀行券のより広範な使用を推進しました。

イングランド銀行と協定を結んだ地方銀行は、各行の銀行券の発行を停止し、金(Gold)準備の必要から解放され、その代わりイングランド銀行券を無利子または3%貸し出しで受領し使用しました。
 

こうして、地方銀行券のシェアは徐々に低下していくことになります。 しかし、イングランド銀行自身も恐慌の煽りで金(Gold)が枯渇していき、苦境に陥りました。

ロスチャイルド家の5兄弟がロンドンに集まり策を練り、ネイサンが中心となって、イングランド銀行の短期ローンを盛んに利用しながら、巧妙にも同行から毎日繰り返し金貨を引き出し追い込んでいきました。
 
 
一方で、彼らは、イングランド銀行がそれまで貸し出していた金(Gold)を回収する形で、フランス銀行等から同行に金(Gold)を補填し、さらに、大量のポンドを供給して準備金を補填し、取り付け騒ぎが起こっていた動向を救済しました。

標的を追い詰め、そして救済の手を差し伸べるというやり方で、ネイサンは支配するのに十分な株式を取得し、同行(イングランド銀行)とその通貨発行権を手に入れました。
 
 
 


 
金本位制を利用した金融経済

イングランド銀行は、ロスチャイルド家が世界戦略を推し進める上で、もっとも役に立つ代理機関あるいはフロント企業の一つとなりました。
 
元々同行は、株主名を公開しないことを宣していました。 議会の直接命令をはじめとする数々の調査が行われて、株主名の公開を迫りましたが、それでも公開されませんでした。

 
同行の総裁や理事たちも、ロスチャイルド家ゆかりの人間で占められていたからで、その支配はさらに増していきます。
 
これ以降、ロスチャイルド家は世界戦略上、イングランド銀行をモデルとして、各国に中央銀行をつくっていきます。 さらに金本位制を、まず大英帝国で、そして他の国々で完成させていきます。
 


金銀貨幣は昔から世界各地で使われており、当時既にイギリスでは金貨が主流となっていました。
これを推し進めて、金(Gold)をコントロールすることによって、「世界」を操ろうとしたのがロスチャイルド家です。
 
金本位制は、金融経済の操作と富の集中の道具となります。 ネイサンは、自分の別荘で催したパーティで、次のように述べています。

 
 
「太陽が沈むことのない帝国を統治する英国の王位に、どのような操り人形がいようと、私は気にかけない。 英国の通貨供給量を管理する者が大英帝国を支配するのである。そして、私は英国の通貨供給を管理している」。
 
イギリス政府も、戦争を含めて国家的な大事業に直ちに資金を用意できるロスチャイルド家に頼らざるを得ません。 


オーストリア、プロシア、ロシアもロスチャイルド家なしにはやっていけず、ロスチャイルド家のヨーロッパにおける政治的な影響力は絶対的なものとなりました。 

1825年、5つのロスチャイルド商会の資産は、1815年時点から10年間で、実に50倍になています。
 
 
 
 
 
東インド会社を通して引き継ぐアジア利権

1832年、ネイサンは、「イギリスは世界の銀行である。 インド、中国、ドイツ、そしてロシアにおける商業取引は、すべてイギリスの仲介によって指揮され、取り仕切られている」と語っています。 

そのイギリスの中枢にあるのが、N・M・ロスチャイルド&サンズだったのです。
 


インドは、イギリスの時刻本位の関税政策のために、伝統的な綿織物産業は壊滅し、逆にイギリスの綿製品の巨大な輸出市場となっていました。 
 
イギリス東インド会社は、1600年設立のイギリスの勅許会社であり、アジア貿易の独占権を認められ、オングランド銀行から融資を受けながら、アジア各地の植民地経営を行っていました。
 
 

最初にアジアに進出してきたヨーロッパ勢は、まずはカトリック王国のポルトガルとスペイン。フィリピンの国名は、 スペインの植民地となった時代にスペイン皇太子だったフェリペ(後の国王フェリペ2世)の名前にちなんで、1542年にラス・フィリピナス諸島と名付けられました。
 
ヨーロッパでは、ドイツを舞台に、カトリック vs プロテスタントの大きな宗教戦争(30年戦争:1618年ー1648年)が起こります。 戦場となってしまったドイツは荒廃し、周辺のヨーロッパ諸国から約200年発展が遅れたとされています。  


 
中世ヨーロッパを500年間支配していたのが、オーストリアのハプスブルグ家ですが、太陽が沈まない国、スペインと我々は教科書で習いますが、当時のスペイン王はハブスブルグ家のカール5世です。
 
少しややこしいので、簡単に説明すると、当時のスペインという国は、アラゴン王国のフェルディナンド2世とカスティリャ王国のイザベル1世が結婚し、国家として合同する事で誕生しました。
 

しかしながら、フェルディナンド2世とイザベル1世の間の子供たちは次々と若死にしてしまい、フアナがただ一人残った王位継承権者となってしまいます。


 
フアナは、ハプスブルク家の一員の下に嫁に行ってカルロスを生んだ訳ですから、スペイン王・カルロス1世(=オーストリア・ハプスブルグ王カール5世)は、ハプスブルク家の一員だったと言えます。

こうしてスペインは、ハプスブルク家の一員を王として頂くことになった訳です。

 

カトリックの盟主である、ハプスブルグの神聖ローマ帝国が広域にヨーロッパ大陸を支配し、今日のオランダという国もその一部でした。
 
ウェストファリア会議は、神聖ローマ皇帝、ドイツの66の諸侯、フランス、スウェーデン、スペイン、オランダなどの代表が参加した、世界で最初の大規模な国際会議で、会議は1645年から実質的な討議に入り、延々と3年を要して、1648年にようやくウェストファリア条約が締結され、三十年戦争を終結させました。



ここで、スペイン領(=神聖ローマ帝国領)だったスペインからオランダという国が独立し、スペインと覇権を争うのです。

ちなみに、日本の豊臣vs徳川は、スペインvsオランダの代理戦争です。関ヶ原の戦い(1600年)の後、両陣営は、大阪冬の陣(1614年)大坂夏の陣(1615年)と2回、戦っています。
 


大阪冬の陣では、スペインからもらった銃で豊臣側が徳川側を蹴散らしますが、大坂夏の陣ではオランダが長距離届く大砲を新しく開発し、それを徳川側は購入し、大阪城を遠距離から攻撃し、豊臣側はなすすべくもなく敗北し、決着しました。

佐渡金山や石見銀山利権を手にし、世界覇権はオランダに移り、オランダ東インド会社がアジアに進出し、台湾やインドネシアを植民地にしました。
 


今でも台湾はオランダのPhilipsと関係が深く、最近話題のTSMCも台湾政府・ITRI(台湾工業技術研究院)の合弁会社で、最先端半導体に不可欠なEUV露光機も、世界シェアを独占しているのがオランダのASML社で、彼らが販売先をコントロールし、台湾TSMCに優先的に出荷しています。 
 
ASMLのEUV露光機も、Philipsとその親戚であるロスチャイルド家が主導するIMECというナノテクノロジー・半導体の研究コンソーシアムの成果です。
 

よく半導体材料はほとんど日系企業が独製造製造装置は ASMLを除き、日本とアメリカがほぼ独占しています。 

ものづくりを得意とする日本がファブビジネスをなぜやらないのか?という疑問を持つ人が多いですがが、ASMLが売ってくれるとは限らないのです。 

欧米、ロスチャイルドは戦略的でキモをちゃんと抑えているのです。
 


フィリップス財閥 (ロスチャイルド家と縁戚関係)
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そして、オランダ東インド会社の次にでてきたのが、イギリス東インド会社です。 案外知られていませんが、インドネシアは一時、イギリスの植民地であったことがあります。
 
オランダ東インド会社とイギリス東インド会社は激しく戦い、結局、話し合いでインドネシアはオランダの植民地とし、イギリスはシンガポールを植民地とすることで決着するのですが、イギリスは中国と日本を植民地にしようとしていたのです。




実際、その後に起こったのが中国での阿片戦争、阿片戦争で清(中国)から奪えるものはすべて奪った、イギリスの次のターゲットは日本です。
 
当時の世界覇権はロシア帝国vs大英帝国。 この両者がぶつかったのが満州・朝鮮半島・日本です。
 


狡猾な大英帝国は、尊王攘夷と口だけでワーワー騒ぐ長州・薩摩の維新連中を金と女?で篭絡し、いつの間にか、日本は、尊王攘夷を捨て、挙句の果ては尊王攘夷の急先鋒であった孝明天皇を毒殺し、親イギリスと親ヨーロッパと反ロシア。
 
そして日露戦争では、大英帝国の代理人としてロシアと戦わされ、日露戦争での日本人の戦死者は約9万人、大英帝国のイギリス人は一滴も血を流していません。 
 


徳川との内乱(戊辰戦争)で活躍したアームストロング砲は、ロスチャイルドGrの兵器会社アームストロング社製(英国)日露海戦で大活躍した戦艦三笠もロスチャイルドGrの兵器会社ビッカース社製(英国)。 
 
そして、巨額の借金をした日本ですが、これらの借金を完済できたのが、バルブ経済で沸く1980年代後半。 結局は、したたかな大英帝国のために命を落としながら戦い、ロスチャイルドのマネーゲームに利用されました。 
 


今のウクライナと構造は全く同じです。これが明治維新です。 つくづく、彼らの頭の良さ(狡猾さ)には脱帽で、日本人が立ち向かえるレベルではありません。話を戻します。
 
 

イギリス東インド会社は、1773年にインドで阿片の専売権を獲得し、中国への組織的な阿片の売り込みを始めました。
 
インド産の阿片を中国に輸出して銀を吸い上げる麻薬貿易が、茶貿易と並んで、東インド会社のみならず、同社の貿易に深く関与していたシティそしてユダヤの大商人サッスーン家にも莫大な利益をもたらしました。
 


ネイサンの邸宅には、たびたび東インド会社の幹部が訪れ、助言を求めました。 
 
1833年、インドを実質的に植民地支配してきた東インド会社のアジア貿易独占権がイギリス議会で廃され、東インド会社は商業活動を停止しました。
 


東インド会社のほとんどの利権を、補償金を支払って引き継いだのはネイサンとその義兄弟モンテフィオーレで、東インド会社の貿易ルートを主として受け継いだのがロスチャイルド・グループのエリアス・サッスーンでした。
 
サッスーン家については、後ほど詳しく述べる予定です。 そして、1840年の清(中国)との阿片戦争によって、イギリス・インド・中国の阿片や茶の三角貿易体制が完成しました。


 
1830年代、ネイサンは鉱業にも乗り出し、当時、体温計や金(Gold)の精錬に欠かせなかった水銀を独占します。
 
オーストリアの水銀鉱山に加えて、1833年にスペインで起こった王位継承問題に関与し、アルマダ大ス銀鉱山の支配権を獲得しました。

 
 
そして、水銀の価格を2倍、3倍に吊り上げて、巨額の利益を得たのです。
 
 
 
 
 
(関連情報)


・ロスチャイルド財閥ー9 ウィーン体制
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・ロスチャイルド財閥-8 N・M・ロスチャイルド&サンズ
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・ロスチャイルド財閥-7 5本の矢
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・ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦い
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・ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番
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・ロスチャイルド財閥ー4 金融街シティの誕生
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・ロスチャイルド財閥-1 先祖

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